相対的と言う言葉を時々耳にします。意味を調べてみるとこのようにありました。「他との関係において成り立つさま。または他との比較の上に成り立つさま。」例えば、方角は絶対的ですが、方向は相対的です。北、南などの方角は変わることはありませんが、右、左などの方向はその人の立つ位置によって変わります。と言うことは、相対的な存在、価値は、時代や環境によって絶えず変わるものです。
悲しいことに、人間は相対的な存在です。Aさんに恋心を抱いても、やがてBさんという素敵な人が現われると心変わりします。だれもが排他的、絶対的な愛を求めていますが、人の心は平気で変ってしまいます。それゆえに傷つくのです。人間は状況、環境によって変わるので絶対的信頼は置けないことはだれもがうすうすと感じています。また社会も善悪の価値も倫理も何もかもが時代や環境によって揺れ動き、変わる相対的なものばかりです。
私たちは、心のどこかで変わらないもの、絶対的なもの、真に信頼できるものを探していないでしょうか。時代、環境、文化によっても変わらない確かな価値や生き方を求めてはいないでしょうか。聖書には驚くべき言葉があります。「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつもでも、同じです。」(ヘブル13:8)「わたし(イエス・キリスト)が道であり、真理であり、いのちなのです。」(ヨハネ14:6)
イエス・キリストこそ、全存在をかけて信頼できる方です。彼を信じ、彼の言葉に従って歩むときに私たちは、変わらない確かに歩みをすることができるのです。