私たちが安易に犯す罪の一つは、「人を裁く」ことかもしれません。しばしば心の中で、あるいは言葉や行動をもって他人を断罪いたします。
私は、あるとき同じ伝道者仲間に対してあまり良い感情を持つことができなくなったことがありました。それは、彼がした行為があまり好ましく思えなかったからです。けれども、主は私に対してこのように語り掛けられました。「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。」(マタイ7:2)
他人に対して厳しい物差しを持ち出して当てはめるならば、その物差しで自分も量り返されると主は言われたのです。あらためて考えると自分にも本質的にはあまり変わらない心があることに気付かされました。
私たちは、他人の行動の表面的なことしか分かりません。背景や事情などは隠れて見ることができません。本当に裁くことのできるのは、実は神様だけなのです。私たちがすることは裁くことではなくて、祈ることではないでしょうか。私も前述の方のために祈り始めたときに心に平安がやってきました。