T兄が1月8日(木)未明に天に召されました。奥様は、私たちの教会の最初の受洗者でした。奥様が病に伏されたとき、病院を訪ねると、必ずそこにご主人のT兄がおられ、それがとても印象的でした。悲しいことに、2005年に80歳で奥様は先に天に召されました。
ご葬儀の挨拶のとき、T兄が「家内と同じところに行きたい。」と言われたのが、ずっと心に残っていました。それで、ときどき手紙を出したり、訪ねたりしました。あるとき、病気になられた旨のお手紙をいただき、訪ねてもお家は雨戸が閉まってどなたおられない様子で、どうなさっているかと案じていました。そうこうしているうちに、ご家族からお電話をいただき、病院を見舞ったのは、昨年の12月31日でした。まだ、意識も受け答えもはっきりしていました。私は、単刀直入にキリストの十字架による罪の赦しと天国の希望をお話しさせていただき、「イエス・キリストを救い主として信じますか。」と尋ねました。T兄は、「はい。」と答えられ、心を合わせて一緒にお祈りをいたしました。その日、思いがけず洗礼にまで導かれました。
次の日曜日、もう一度、礼拝後に見舞いました。帰り際に、ベットから手を挙げて、「良くなったら礼拝に行きますから。」と言われたのが、最後の別れの言葉となりました。回復されたら一緒に礼拝をささげるという願いは、かないませんでしたが、主は不思議なお取り計らいをしてくださって、亡骸が教会に安置されたままで、今日の礼拝を守りました。明日が告別式だからです。すべてのことをご支配されている主に一切をゆだね、御名を賛美します。
「わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちをもつことです。」 ヨハネ6:40