チャペルの講壇脇にりっぱなシュロの鉢が置いてあります。少しの間水をあげ忘れてしまい元気がなくなってしまったので、最近は外の日当たりの良い所に出して、水をたっぷりと注ぎ、ハイポネックスを与えて様子をみています。
先日その大きなシュロが強風にあおられて、ひっくり返ってしまいました。倒れたシュロを持ち上げながら、つくづくと思いました。植物はどんなにりっぱで美しくても倒れたら自分では起き上がれないものだなと。まったくあたりまえのことなのですが・・・?!
ところで、私たちは、倒れたら自分で起き上がるのが当然として生きてはいないでしょうか。私が小さいとき、転んでも父は決して手助けしてはくれませんでした。泣いても「自分で起きなさい。」と言われたものです。ですから私は、転んでも、失敗しても、倒れても、どこかで自分の力で起き上がらなければならないと思ってきました。大概の人はそうではないでしょうか。
でも人生には、どうにも自分の力では起き上がれないような挫折、行き詰まりがあるのも事実です。そんな時、あなたはどうなさいますか。聖書はこう言います
。「主は倒れる者をみなささえ、かがんでいる者をみな起こされます。」(詩篇145:14)
人間にはどうしても自分で自分を救えないことがあります。溺れている人が自分を救えないのと同じです。そのような時は、外からの救いの手が必要なのです。神様は私たちをお救いくださいます。「主よ!」と叫び求めてみませんか。