礼拝のこころえ④

 礼拝について3回にわたって書いてきましたが、最後に礼拝の奉仕にあたる人の心得に少し触れて終わりたいと思います。
 礼拝は、神の臨在の前に出て、神と交わり、神を賛美し、神に礼拝をささげる聖なる、厳かなるときであります。また同時に喜びにあふれたときです。ですから、礼拝の御奉仕にあたる人(説教者、司会者、奏楽者、祈祷をささげる人、受付者)は、予めそのために祈りをささげ、敬虔な心、神を礼拝する心をもってあたるべきです。奉仕者はその奉仕を通して主に礼拝をささげているのだという意識を忘れてはいけません。
 私が母教会の修養生(神学生)だったとき、ある集会の後で一人の副牧師から大変厳しい注意を受けたことがありました。それは私が少しばかり時間をとってコメントをしたことに対してでした。自分でも余分なことを口にしたと感じました。聖霊の流れにない人間的な仕業だったと思いました。会衆に自分がすばらしい司会の奉仕をしていることを見せたい心がどこかにあったのです。副牧師は、それを見抜いたのです。「司会者は、余分なことを言ってはいけません。進行係りに徹しなさい。」それは、痛い経験でした。しかし、それは私にとって大変有益な言葉となりました。その後、司会をするときはその言葉に従ってきました。
 奉仕者は、神の栄光のために、聖霊の流れに従い、神に仕えるのです。人を教えよう、諭そうと思ってもなりません。神の器になることに徹するのです。
   「主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方です。」
                                             黙4:11

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by sayama_church | 2009-08-03 19:46 | 牧師の窓 | Comments(0)
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