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天の故郷

 今日は召天者記念礼拝です。私の祖母は、亡くなる前に「何か言い遺すことはありませんか?」との家族の問い掛けに、「ときどき思い出してくれればそれで良い。」と言いました。年に一度ではありますが、教会として主にあって召された方々を思い起こし、記念して、彼らに命を与え、彼らを愛し、彼らの地上での生涯を導かれ、今なお彼らと共におられる主に礼拝を捧げることは、意味のあることだと思います。
 振り返ってみますと、私の信仰の原点は、子供の頃にサマーキャンプでルか16:19~31から「乞食のラザロと金持ち」のお話を聞いたことでした。例えどんなに貧しくても良いからラザロのようにいつ死んでも天国に行ける人になりたいと思いました。それで、心に浮かぶ罪をお詫びして、主イエス様が私の罪のために十字架に架かり、三日目によみがえられた救い主であると信じますとお祈りいたしました。それ以来、私は神が共にいてくださる平安と天国への希望をもつようになりました。私にとりましては大きな喜びです。
 この朝、天にある愛する方々を偲びつつ、人生の短さと永遠に対する思いを持たせていただきましょう。
 「これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。・・・しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。」ヘブル11:13~16
by sayama_church | 2010-11-16 18:22 | 牧師の窓 | Comments(0)
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