どのように生きるか、何をすべきか

 このところ月日の経つことの早さを実感しています。10年ひと昔とは言われますが、その10年があまりにも短く感じられるのです。そう思うと、「どのように生きるか」「何をなすべきか」という問題は、とても切実に感じられます。
 「どのように生きるか」に関しては、主イエスはこのように語っています。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見出すのです。」(マタイ16:24,25)自分を捨て、自分の十字架を負って私に従えを主イエスは招いています。そこにいのちがあると主イエスは語っています。神と人のために何の犠牲も払わずに、ただ自己実現のために生きても私たちを生かすいのちは見いだせません。自分も周りの人も生きません。むしろ、自分を捨て、例え自分にとって好ましく思えいなこと、十字架であっても、それを自分が取るべきものであると主にあって気づいたらそれを負って歩むときにむしろいのちを見出すのです。
 「何をなすべきか」は、聖書は私たち一人一人に聖霊の賜物が与えられていることを教えています。先週の聖書の通読箇所に次のような御言葉がありました。「見よ。わたしは、ユダ部族のフルの子であるウリの子ベツァルエルを名ざしで召し、彼に知恵と英知と知識とあらゆる仕事において、神の霊を満たした。それは、彼が、金や銀や青銅の細工を巧みに設計し、はめ込みの宝石を彫り、木を彫刻し、あらゆる仕事をするためである。」(出エジプト31:1-4) 
 主はベツァルエルを幕屋建設のための職人として召し、その仕事を成し遂げるための知恵と力を聖霊によって与えられました。同じように私たち一人一人にも神と人に仕えるための、主の身体なる教会を建て上げるための仕事、奉仕、使命とそれを遂行するための聖霊の賜物が与えられています。自分にいかなる賜物が与えられているかを知るとき、自分が何をすべきかが分かります。
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by sayama_church | 2011-05-30 18:56 | 牧師の窓 | Comments(0)
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