きよめ

「御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。」ガラテヤ5:16 

 「聖め」ということばは今日、日常の会話の中にはあまり使われることはない。何か特別の用語のようにみなされている向きもある。それゆえ、その意味するところを自分と無関係としてしまいやすい。しかし、実際に、その意味は単純明確であり、人を聖くし、キリストのようにすることを指している。聖められるということはキリストのようになることである。
 福音書を読むとき、自分もキリストのようになれたらと思ったりして、自分の生活の態度を変えたり、自分を聖くしようとしたりすることもあるであろう。努力し、努力し、努力するが、成功しない。実のところ、努力すればするほど、自分の至らなさを痛感するようになる。自分の努力ではとうてい、望んでいる目標に到達できないように見える。そして、最後には、自分を聖くする秘訣を自分は持っていないのだと、絶望すらしかねないこともある。確かにその通りであって、私たちはその秘訣を持ち合わせていない。だれも、しゃがんで靴のひもを引っ張り上げて、自分を引き上げることができないのである。この実験はだれがやっても同じことである。また、自分の努力、意志の力、決意などによっても、だれも自分を以前より高い霊的状態に高めることはできない。
 しかし、自分の努力ではできなかったことを、神は喜んで、あなたの中に、あなたのためにしてくださる。これこそ、神に信頼する者の心の中に聖霊がなされる働きである。そして神の支配へのあなたの明け渡しの度合いに応じて、神はあなたを聖くされる。すなわち、キリストに似た者としてくださる。神があなたに望んでおられるような人に、神はあなたをつくり上げて下さるのである。
                      ハーバート・F・スティーブンソン編「ケズイック365日」から
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by sayama_church | 2011-06-05 21:45 | 牧師の窓 | Comments(0)
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