主イエスの十字架による罪の贖いを受け入れるとき、私たちは罪の赦しをいただき、神の子とされ、滅びに至るのではなく永遠のいのちを受けます。これを救いと言います。これこそ福音です。
しかし、救われた一人一人に対して、聖書は
「聖潔に進みなさい。」(ローマ6:19)と命じています。天国に国籍を持つ神の子として相応しい「きよさ」に進むように勧めているのです。これは律法的な戒めではなく、聖霊によって、恵みとして与えられるものなのです。主イエスに自分自身を明け渡し、聖書を通して働かれる御霊の導きに従い続けるときに、私たちのうちにキリストが形造られるのです。私たちは、ありのままでキリストのもとに来るとき、ありのままで救われます。そしてありのままの私たちは、キリストに従い続けるときに聖霊によってキリストのように変えられていくのです。これも福音です。
聖書の時代、世の中は道徳的に暗黒でした。性道徳は崩れていました。そうした中で、救われたキリスト者も世の影響に引きずられることがあったようです。ですからパウロは
「神のみこころは、あなたがたが聖くなることです。あなたがたが不品行を避け、各自わきまえて、自分のからだを、聖く、また尊く保ち、神を知らない異邦人のように情欲におぼれず、また、このようなことで、兄弟を踏みつけたり、欺いたりしないことです。なぜなら、主はこれらすべてのことについて正しくさばかれるからです。・・・神が私たちを召されたのは、汚れを行わせるためではなく、聖潔を得させるためです。」(Ⅰテサロニケ4:3-7)と言います。
今の時代は、パウロの時代よりももっと道徳的暗黒は深まっています。主にある兄弟姉妹よ、内にいただいた聖霊を悲しませることなく、聖霊によって歩ませていただきましょう。