先週の教役者会で代田教会の相田節子師がとても印象深いお話をして下さいました。若い頃、母親を天に送ったときに夢を見たそうです。お母様の夢です。お母様は夢の中でこのように言ったそうです。
天国へ行って、神さまの前に出たら「地上で私はこのようなことをしました、あのようなことをしました」と言ってはならないよ。神様は「それから」「それから」と尋ねられるよ。そして、最後にとても恥ずかしい思いをする。だから何も神さまの前に誇ってはならないよ。
私は、このお話に大変教えられました。やがて私たちも主の前に立つ時が来ます。それは、聖書が教える紛れもない厳粛な事実です。その時に私たちが主の前に誇るものなど何もないのです。ただ主イエスの十字架の贖いの血によって罪が赦され、神の子とされ、ただ主の恵みと憐み、聖霊の導きと助けによって、クリスチャン生涯を全うさせていただいたに過ぎないのです。例え、どんなに大きな犠牲と愛の奉仕をささげても、それもただ主の恵みによってさせていただいたに過ぎないのです。
クリスチャン生涯は、ただ主の恵みによって歩む生活だと弁えさせていただきましょう。ひと足ひと足を、主のご愛とご支配を信じ、それに自分自身をゆだねつつ、歩んで行くのです。それがクリスチャンの歩みです。
「ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。」Ⅰコリント15:10