真に生きる道

 今、私たちは教会暦においてはキリストの苦しみを思う受難節を過ごしています。主イエスは、私たちの罪のために多くの苦しみと辱めを受け、十字架に磔にされました。驚くべきことはこのキリストの十字架のゆえに私たちは救いを受けることができるということです。私たちが救われる根拠は、それ以外の何ものでもありません。
 ところで、主イエスは、十字架を前にして次のようなことをお語りになりました。「いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。」マタイ16:25
 これは、十字架の途をたどることの幸いを教えたものです。どうしたら本当の意味で生きることができるのでしょうか。自分を捨て、自分の十字架を取ることです。この御言葉の意味はそういうことです。それにしても不思議な言葉です。自分のいのちを失うことによって持つことになり、持つことによって失うことになるというのです。大いなる逆説です。けれども、主イエスのご生涯そのものがこの御言葉の真理を明らかにしているのです。主イエスは、父なる神の御心に従い、自分を捨て、自分のいのちを私たちのために注ぎ出されました。その結果は、多くの魂を獲得したばかりか、復活と父なる神の右の座につく栄光を受けられたのです
 私たちは、自己主張、自己拡張、自己追及の文化の中に生きています。建て前では色々なことを言っても、結局は自分のためにのみ生きることを追い求めています。けれどもそれでは、本当の意味で生きることにつながらないのです。自分自身を与えるとき、主イエスに自分を捧げるとき、真に生きることになるのです。自分を捨て、十字架をとられたキリストを思いましょう!
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by sayama_church | 2012-03-25 20:51 | 牧師の窓 | Comments(0)
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