十字架

 いよいよ受難週に入ります。今日は「棕櫚の聖日」です。主イエスは十字架に磔にされる最後の週の初めにロバの子に乗ってエルサレムにお入りになりましたが、そのとき人々は上着を道に敷き、棕櫚の枝を振って、「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。」と歓呼の声を上げて迎えました。このことから受難週に入る最初の日曜日を「棕櫚の聖日」と呼びます。
 人間の心とは変わり易いものです。この日に主イエスを賛美して迎えた群衆は、数日後には「十字架につけろ!」と叫びます。主イエスを妬む祭司長、律法学者に扇動させられたとは言え、主イエスが彼らの期待したような政治的、現世的は利益や欲望を満足させる方ではないと分かったからです。まことにおぞましいかな。主イエスの十字架を廻って、人間の罪、汚れ、醜さがこれでもかとばかりに表に現れてきます。
 そのような中にあって、主イエスは不思議なほど必要なこと以外は沈黙を守り、十字架への道を進んでいきます。人間の妬み、利己心、罪、汚れが主イエスを十字架に追いやりますが、実はその一方で主イエスはその上に立って支配される父なる神に御心に従って、自ら十字架を取られたのです。私たちの罪の贖いのために。聖書はこう言います。「キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」(Ⅰペテロ2:22-24)
 主イエスの十字架の故に救い、赦し、癒しがあるのです。今の私達があるのです。
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by sayama_church | 2012-04-05 21:24 | 牧師の窓 | Comments(0)
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