キリストのための苦しみ

 主の御名を賛美いたします!私は、ときどき「人生とは何か」と考え、思いを巡らすことがあります。そして、その度に「人生とは神の国を目当てに歩むこと、そして神がこの地上で与えて下さったもの、備えて下さったもの(家族、友人、賜物、時間、財・・・・等々)を、感謝し、尊び、満足して、何よりも神と共にあること、神との交わりを喜び、楽しむことである。」と思わされます。皆さんは、いかがでしょうか。
 私は、男性だからか、あるいは気質から来るのか、「自分は何ができたか。何ができそうか。」「どんな働きの実を残せたか。残せるだろうか。」ということに目が行きやすいのです。こうしたことも大切であり、意味あることだとは思いますが、だからこそ主は本質的なことを見失わないようにと、上記のようなことを私に語りかけて下さるのではないかと思います。「信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、また、多くの証人たちの前でりっぱな告白をしました。」(Ⅰテモテ6:12)これは、私の人生の節目、節目に主が与えて下さる生涯的な御言葉です。
 ところが最近、デボーションで聖書を読んでいて、もう一つの御言葉に心が留まりました。「あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけではなく、キリストのための苦しみをも賜ったのです。」(ピリピ1:29)ここには「キリストのために苦しみ」と書かれています。一体、私は、キリストのためにどれだけの痛み、苦しみ、犠牲を払ったことがあるのだろうか、と考えさせられました。これまでに何のキリストのための痛みも苦しみも犠牲も無かった訳ではありません。けれども、主が私に与えて下さった恵みといつくしみを思うと、「無きが如し」です。
 キリストのために苦しむ人生を幾分かでも歩むことが許されたとしたら何と幸いなことでしょうか。 
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by sayama_church | 2012-07-10 19:01 | 牧師の窓 | Comments(0)
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