父の召天

 先週の牧師の窓で名曲「きよしこの夜」が、オルガンのふいごがネズミにかじられる思わぬハプニングから生まれたことを紹介いたしました。そして「神がすべてのことを働かせて益としてくださる」(ローマ8:28)を引いて、「私たちの人生にも思わぬことが起こるかもしれません。けれども神様は、例え絶望や悲しみが起っても、そこから大きな祝福を与えてくださるお方なのです。」と結びました。
 その時、間もなく自分にそんなことが起ころうとは想像していませんでした。けれども28日(金)の早朝に、前日まで元気だった父が突然天に召されてしまいました。急性心筋梗塞でした。正直、まだ悲しみの真っ最中で、思い出すと涙が出てきてしまいます。「喪に服す」という言葉がありますが、人間は本当に悲しいときは、ある期間は嘆き悲しむ時間が必要なのだと感じています。
 父の部屋の机には、新年の礼拝説教の準備のためか、説教原稿と開かれた聖書が置いてありました。亡くなる前にどんなところを読んでいたのかと思い、開いてあった聖書箇所の前後を読んでみると、こんな聖句がありました。「イエスは私たちに命じて、このイエスこそ生きている者と死んだ者とのさばき主として、神によって定められた方であることを人々に宣べ伝え、そのあかしをするように、言われたのです。イエスについては、預言者たちもみな、この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる、とあかししています。」(使徒10:42,43)
 私は、この聖句を読んだときに大きな慰めを受けました。父は主イエスの十字架の功によって罪の赦しを受けて、神の前に生きているのだと改めて思いました。天国に入ることがこそが、私たちの最大の希望です。
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by sayama_church | 2012-12-30 20:56 | 牧師の窓 | Comments(0)
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