ゆるし 

 「人を赦せない。」と思ったことはないでしょうか。苦々しい思いや憤りを人に対して抱いたことはないしょうか。
 最近、私はあまりにも大きい自分の罪を思い知らされ、にもかかわらずに主の尊い犠牲と憐みの十字架のゆえに赦されていることを知らされたときに、他者に対して偉そうな態度をとったり、ましてや人を赦さずに、苦々しい思いを抱き続けることなど到底できないことだと教えられました。
 聖書の中に主イエスによって語られた一つのたとえ話があります。王に1万タラント(6000億円ぐらい)の借金がある男がいた。王は持ち物全部を売り払って返済するように求めたが、彼は平伏して猶予を求めた。すると王はかわいそうに思い、彼を赦し、借金全部を免除してあげた。ところがその男は、道の途中で100デナリ(100万円ぐらい)の貸しがある仲間に会うと、返済を迫り、彼が平伏して猶予を求めても赦さずに、借金を返すまで牢に投げ入れてしまった。やがて事の次第を知った王は怒り、「私がおまえをあわれんでやったように、おまえも仲間をあわれんでやるべきではないか。」(マタイ18:33)と告げて、その男が仲間にしたと同じように借金全部を返すまで牢に入れてしまった。
 私たちは神に対して到底償えない大きな罪を重ねましたが、ただ恵みと憐みによって赦されました。それならば当然私たちも人を赦すべきです。他者が自分にした悪を赦さないと、神も私たちの罪をお赦しになりません。
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by sayama_church | 2013-03-12 21:16 | 牧師の窓 | Comments(0)
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