免罪符? 

 私がお世話になっている牧師に、以前ケニアで宣教師をされた方がいます。先日、面白いお話を伺いました。ナイロビにココナッツを作る会社を興して大成功した日本人がいて、奥さん同士が学校の同窓生だったことがきっかけで家族ぐるみで親しくお付き合いをするようなったそうです。あるとき、社長が彼をまじまじと見つめて言いました。「クリスチャンは、日曜日になると教会に行くようですが、あれは何のために行くのでしょうか?うちの従業員もみんな日曜日になると教会に行くのですが、会社では盗みをしたり、ごまかしたりで大変なのです。一種の免罪符をもらいに行くのでしょうか。」
 私は、このエピソードを伺ったとき、吹き出しそうになりました。平日はやりたい放題に罪を犯し、日曜日になると神の赦しを受ける。そして月曜日から再びやりたい放題・・・。天真爛漫と言えばそうなのかもしれませんが、社長が困惑するのも無理はありません。
 しかし、実は聖書はキリスト者のあり方をそのようには言っていません。「このみこころに従って、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけささげられたことにより、私たちは聖なるものとされているのです。」(ヘブル10:10)「わたしは、わたしの律法を彼らの心に置き、彼らの思いに書きつける。」(同10:16) 
 神は、キリストが私たちの罪のためにご自身をおささげになった血潮のゆえに、聖霊によって私たちを新しく生まれ変わらせ、きよめ、神の御心を喜んで行う心を与えて下さいます。罪の赦しのみか、私たちを聖なるものに造り変えてくださる、それが神の恵みです。
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by sayama_church | 2014-02-03 17:18 | 牧師の窓 | Comments(0)
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