雪のように白く

 昨日は、記録的な大雪となりました。外に出ることができず、また訪ねて来る人もなく、窓辺から深々と降る雪を眺めながら、教会でひとり、心静かに時を過ごしました。これも幸いでした。
 聖書には、次のような雪にかかわる御言葉があります。
「さあ、来たれ。論じ合おう。」と主は仰せられる。「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。(イザヤ1:18)
 あるとき、テレビで芸能人がひとりの子どもを見て、「汚れのない顔」と言っているのを耳にしました。考え過ぎかもしれませんが、そこには、できるものならば罪や汚れを知らなかったあの無垢な子どもの時代に帰りたいというかすかな心の願いが込められていたような気がしました。人は、人生の様々な局面を通りながら、良心の痛みをかき消し、小さな罪を重ね、やがて大きな罪をも平気で跨ぎ、あるときフッとした機会にすっかり汚れてしまった心の持ち主であることに気が付き、愕然とします。いいえ、むしろ気が付いたら幸いでしょう。
 しかし、上記の御言葉は、神は私たちの心を雪のように白くしてくださるとのお約束です。罪を悔い、ありのままで主の下にくるならば、キリストの流された十字架の血潮のゆえに、私たちの罪を赦し、雪のように白くしてくださるのです。いつでも、どんな人でも、キリストの十字架を信じて、神の許に来てください。
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by sayama_church | 2014-02-09 19:52 | 牧師の窓 | Comments(0)
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