ケズィック

 今週は箱根で日本ケズィック・コンベンションが開かれます。残念ながら私はまだ子どもが小さいので参加することはできませんが、いつかまた出席したいと願っています。と申しますのは、ケズィックは私にとりまして大変思い出深い集いだからです。
 今から26年前、私は会社員でした。入社して5年。海外への転勤話もあり、このまま本当にサラリーマンを続けて行ってよいのかと心に引っ掛かりがありました。長年に亘って献身すべきなのではとの思いがあったからです。
 そこではっきりとけじめをつけたいと思って、2日ほど休暇を申請し、箱根の山を登りました。集会が終わるたびに祈祷室に向かい、格闘するような祈りを捧げました。「何でも主の御心に従います。」という自分を捧げる祈りではなく、自分の内にある献身すべきなのではとの思いを断ち切ろうとするような祈りでした。祈りの効果(?)があったせいか、献身者を招く宣教大会では何の迫りも受けませんでした。私は「終わった。」と思いました。これで会社に戻って心置きなく仕事に向かえると思ったのです。ところが翌日の閉会礼拝で講師のパウロ・リース博士が開かれた「父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」(ヨハネ20:21)の御言葉に私は打ちのめされてしまいました。そしてまさか閉会礼拝でなされるとは思わなかった献身の招き応じて、前に進み出たのです。
 今は、こんな愚かで罪深い人間に目を留めて伝道者、牧師にして下さっ
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by sayama_church | 2014-02-23 20:13 | 牧師の窓 | Comments(0)
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