心の疼き

 私たちの人生には、向き合いたくないような過去の痛みや傷、恥や悲しみなどが一つや二つはあります。そうした過去が私たちを縛り、時には周囲の人間や神への怒りとなって心の奥底にくすぶることもあります。

キリスト教史上、最も傑出した人物となったパウロは、「肉体に一つのとげ」(Ⅱコリント12:7)をもった人物でした。「とげ」が何を意味するのかは分かりませんが、大きな痛みであり、マイナスであったことは間違いありません。パウロは、この「とげ」を取り去って下さるように三度も主に願いましたが、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」(Ⅱコリント12:9と言われました。

過去の痛み、傷、恥、失敗、悲しみなどは、それに蓋をし、目をそむけ、忌避している限りは、心を疼かせ、束縛する「とげ」でしかありません。しかし、十字架の下にさらけ出し、向き合い、敢えてその痛みを抱くとき、神の力が完全に現われる「弱さ」となるのではないでしょうか。

ある女性が車を走らせていました。日の光が明るく降り注いでいたために、窓ガラスの汚れや傷が良く分かりました。「ひどい傷ね。取り替えなくては。」しかし、少したって、違うことに気が付きました。傷を通して反射する太陽の光は、小さいけれども素晴らしい虹を作り出していたのです。

主は私たちの傷、苦悩を用いて、他の方法では決して生み出されない美しさ創造されるお方なのです。(ステイーブ・シーモンズ著『十字架といやしへの道』一部引用)

あなたの心の疼きを十字架の光の下に持ち出してみませんか。


[PR]
by sayama_church | 2014-06-03 14:50 | 牧師の窓 | Comments(0)
<< 2014年6月15日(日) 2014年6月1日(日) >>