確かな拠り所

 人は、自分を支える何らかの拠り所を必要とするように思われます。「人」という漢字は、「人と人が支え合っている」とか「腕を垂らして二本足で立っている」ことから来ているなどと聞いたことがありますが、私にはこの漢字は、「支えるものを必要している存在」を表わしているように見えるのですが、いかがでしょうか。

 最近、独立するか否かで大問題になったスコットランドの古城に有名な地下牢があります。岩盤をくりぬいて造られた円錐型の地下牢で、ここに落とされると囚人はたちまち気が狂ってしまったそうです。ところが、一人だけ何週間も閉じ込められたのに正気を失わなかった囚人がいました。理由を探ってみると、驚いたことにその秘密は、ポケットに隠し持っていた6つ小石でした。暗闇で正気を失いそうになると彼は片方のポケットからもう片方のポケットへ小石を移しながら一つずつ数えました。彼は自分の外側に小石という変わることない存在を確保することによって、正気を失わずに済んだというのです。

 ところで、私たちは自分の内側に自分自身を支える鍵があると考えます。自己啓発とか座禅とか「自分を信じる」などはそうした類でしょう。けれども、自分を支える鍵は自分の内側にはありません。人は、自分の外側に揺れ動くことのない永遠なる拠り所を持たなければ、すぐにさ迷い出て、現実とのつながり失ってしまうのです。(デニス・キンロー著「エマオの道で」から一部引用)

 主イエス・キリストを通して啓示された神様こそ、私たちの確かな拠り所なのです。


     「いつまでも主を信頼せよ。ヤハ、主は、とこしえの岩だから。」イザヤ26:4


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by sayama_church | 2014-09-21 14:57 | 牧師の窓 | Comments(0)
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