教会の尊さ

 私は牧師となり、教会に仕えるようになってあれこれ20年を超えてしまいました。早いものです。初めの頃は、教会とは何かを深く弁えもせずにただ無我夢中でしたが、今になってようやく教会の尊さを実感するようになってきました。

 聖書は、教会をキリストのからだに、信仰者の一人一人を器官に例えて次のように語っています。「確かに、からだはただ一つの器官ではなく、多く器官から成っています。・・・神はみこころに従って、からだの中にそれぞれの器官を備えてくださったのです。そこで、目が手に向かって、『私はあなたを必要としない。』と言うことはできないし、頭が足に向かって、『私はあなたを必要としない。』と言うこともできません。それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。・・・それは、からだの中に分裂がなく、各器官が互いにいたわり合うためです。もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。」(Ⅰコリント121427

 信仰者はキリストの十字架の血によって罪が赦され、神の子とされましたが、人としての長所と短所を持っています。それどころか状況によって長所は短所に、短所は長所にさえなってしまいます。それが人間です。神さまは、このような不完全な私たちを組み合わせて、全体で、共同体として、キリストの御心を行い、神さまの栄光を表わす教会を狭山の水野にも建てられたのです。何と驚くべきとことでしょう。ハレルヤ!

私たちは、神さまに召し集められたのです。ですから一人一人はかけがえのない存在であり、ひとりとして不必要な人はいません。これからも互いにつぶし合い、否定し合うことなく、互い尊重し、補い合いながら、キリストのからだなる教会の一員として歩ませていただきましょう。「キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられた」(エペソ525のですから。


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by sayama_church | 2014-10-21 13:35 | 牧師の窓 | Comments(0)
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