十字架を負い

新しい年を迎えて、1年をどのように歩むべきかを考えている人は多いと思います。聖書に次のような御言葉があります。

 「狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」マタイ71314

 主イエスは、ここで2つの道があると言われました。一つは狭い門から入り細い道をたどり、いのちに至る道。もう一つは広い門から入り、広い道をたどり、滅びに至る道。後者を選ぶ人は多いが、前者は少ないと主イエスは言われました。

 狭い門と細い道は何を意味しているのでしょうか。少なくとも安易な道ではないことは確かです。なぜなら、広い門と広い道を通る人は大勢だが、狭い門と細い道を選ぶ人はまれとあるからです。恐らく、その一つは十字架を負う道でしょうか。主イエスは、「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」(マタイ7:24と言われました。

 日本を代表する伝道者と言われた本田弘慈師が、生前こう言われました。「私は、2つの道があるとき、困難な十字架の道を選んできました。」私たちも、主が与えて下さる十字架を担って主に従っていきましょう。真に実りある人生を歩もうとするならば十字架は避けられません。十字架なくして栄光はありません。
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by sayama_church | 2015-01-13 15:41 | 牧師の窓 | Comments(0)
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