終 活 

 先週は、お二人のご葬儀に参列いたしました。お一人は、先輩の牧師。もう一人は教会に集われている方のお母様です。ご葬儀で亡骸を前にするときに、私はしばしば思うことがあります。それは、自分もいずれは同じようになる日が来るのだということです。

 今から3500年ほど前にイスラエル民を導いた神の人モーセは、次のように祈っています。「私たちの齢は70年。健やかであっても80年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。・・・それゆえ、私たちに自分の日を正しく数えることを教えてください。そうして私たちに知恵の心を得させてください。」詩90:10,12

 モーセは、40年にわたって荒野で民を導いた時、どれほど多くの人の死と埋葬に立ち会ったことでしょうか。そして、彼は人のいのちに限りがあることを実感して、日々をいかに生きたら良いのか、神に知恵のこころを求めて祈ったのです。

 「終活」という言葉があります。人生の最後を迎えるにあたっての準備を意味します。けれどもその準備は、遺される人が困らないように葬儀、墓、相続などに関することがほとんどでしょう。

私たち自身が、永遠を迎えるにあたっての準備はどうでしょうか。神の前に立つ準備はできているでしょうか。

 最大の準備は、イエス・キリストにすがることです。彼こそ、私たちの罪の贖いのために十字架に架かり死んで三日目に復活されたのです。イエスによって罪の赦しと永遠への希望を得るのです。
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by sayama_church | 2015-03-05 14:29 | 牧師の窓 | Comments(0)
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