今年になってまだ4か月ほどですが、もう幾人かのご葬儀に参列いたしました。昨日も、狭山ひかり幼稚園の前理事長のお別れ会に行ってきました。ご葬儀に出ると、「生きること、死ぬこと」について色々と考えさせられます。
聖書の中に、エノクについて次のよう記述があります。「エノクは六十五年生きて、メトシェラを生んだ。エノクはメトシェラを生んで後、三百年、神ととともに歩んだ。そして、息子、娘たちを生んだ。・・・エノクは神ととともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。」創世記5:21-24
「信仰によって、エノクは死を見ることのないように移されました。神に移されて、見えなくなりました。」ヘブル11:5
エノクについての聖書の御言葉は、キリスト者にとって「生きること、死ぬことは」がいかなることであるかをよく物語っているように思われます。すなわち、生きることは「神とともに歩むこと」であり、死ぬことは「移されること」です。この世においては、何を成し遂げたか、どんな肩書きを持ったかが、人を測る物差しになりますが、聖書ではだれとともに歩んだか、いかなる者であるかの方がはるかに重要だとしています。キリスト者は神と共にある者です。そして、死は、さながら1階から2階に住まいを変えるように、神によって移されることです。
主イエスにあって神と共にあることは何と幸いなことでしょう。