一日一生

「一日一生」という言葉があります。キリスト者であった内村鑑三が彼の著書のタイトルにした言葉です。一日一日を一生のように大切に過ごすという意味なのでしょう。

  こんな物語があります。今、組み立てが終わったばかりの小さな柱時計が、時計屋の倉庫の棚の上に置かれていました。そこには、ほかの二つの古い時計があり、忙しそうに振子を動かしながら、一生懸命に秒を刻んでいます。古時計の一つが、その新品の時計に声を掛けました。「やあ、君はこれからお勤めをやるのだね。お気の毒さまだ。今は勇ましく、カチカチと時を刻んでいても、そのうちにきっとうんざりするよ。あと三千三百万回も振子を振るのだよ。」新品の時計は、驚いて言いました。「え、三千三百万秒だって!それは大変だ。ぼくはこれまで一度だって、そんなお勤めをやったこともないのに。」そう言うと、その時計は落胆して黙ってしまいました。

すると、もうひとつの古時計が声を掛けました。「おや、君はどうしてあんなことばを聞いて信じるのかね、ばかだね。時計の勤めはそんなに大変なものじゃない。君の仕事は、一回に一秒刻めばいいのだよ。そうだよ、難しくないだろう。ではもう一つ振ってごらん。簡単だろう。そうやって、一回ずつ休まずに続けて行くのだよ。」「そうですか、これなら、ぼくにもたやすくやれます。ではがんばってやりますよ。」新しい時計はそう叫ぶと、再び勇ましく、刻むべき先の日数や、何百万秒のことはみんな忘れて、一度に一秒だけの勤めを始めました。こうして、一年過ぎた年の終わりには、気づかないで、三千三百万回、振子を動かしていたのです。(カウマン夫人著「荒野の泉」第Ⅱ編)

 私は、時々しなければならない働きの大きさを考えて、果たしてできるのだろうかと心が沈むことがあります。けれども「一日一生」、先のことや事柄の大きさを考えずに、一日一日を主とともに歩み、その日為すべきことをして行こうと、自分に言い聞かせています。

 「あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」マタイ634


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by sayama_church | 2015-04-27 16:07 | 牧師の窓 | Comments(0)
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