敬老の日

 明日は敬老の日です。生きていたらこの日を祝うだろう両親は数年前に天国に行ってしまいました。私の記憶によれば、家族で敬老のお祝いをすることもなく。私は、ときどき思ったものです。どうして私の両親は80を超えたとは言え、平均寿命が長くなっている今日、他の多くの人よりも早く召されたのだろうかと。

 先日、あるデボーションの本を読んでいて、そこに記されていた御言葉と解説に触れたときに合点がいきました。以下に引用いたします。

 モーセの死にさいして興味深い事は、彼は「主の命令によって・・・死んだ」(申命記34:5こと、しかも「彼の目はかすまず、気力も衰えていなかった」(

34:7という点です。現代人は人が何故死んだのかというとき、それはどんな病気だったのかという死因をさすだけで、ほとんどそれ以外に関心を示しません。しかし、本当はそんなことが問題なのではありませんし、「何故死んだのか」という問いに対する答えにもなっていません。・・・答えは、「与えられた使命を果たし終えたからです」ということです。いかに元気であろうと、病弱であろうと、ときには思いもかけぬ事故であろうと、主の定めた時があるのです。召されるそのときが、何よりも尊い時となるように生きることです。そのときに「何故?」という問いに対する答えが見えて来るのでしょう。(大橋秀夫著「21世紀を生きる—366のメッセージ-」

 この地上でしなければならないことが残っている限り、いのちは続きます。なすべきことを弁えて、神を信じ、信頼して人生を歩んでいきましょう。


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by sayama_church | 2015-09-20 18:11 | 牧師の窓 | Comments(0)
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