愛なる神

聖書には、「愛」と言う言葉がたくさん出てきます。特に使徒ヨハネの文書に多く見られます。私見ですが、日本語の「愛」の意味に深みを与えた聖書の影響は大です。

先日の聖化大会で講師のジョン・オズワルト博士は、愛を「どのような犠牲を払おうともだれかのために最善を選ぶ意志」と定義されました。なるほどと思いました。

私は幼い頃、愛知県に住んでいました。父が片田舎で開拓伝道をしていたのです。年に一度、東京でカンファレンスがあり、私は父に連れられて電車の旅をしました。そんな時、父はよくアイスクリームやお菓子を買ってくれるのです。けれども父が口にしたことは一度も見たことがありませんでした。それで私はずっと大人は甘いものを食べないのだと思っていました。間違いに気が付いたのは、ある程度大きくなってからです。自分は倹約して、子どもには楽しい旅になるようにとの心遣いだったのです。

聖書が啓示する真の神は、父が私に示してくれた愛の比ではありません。はるかに大きなものです。御子イエス・キリストを私たちの罪の贖いのために与えて下さったのです。世には、父や母の愛を知らない人、だれかに愛される経験が無い人もいます。けれども、例えそうであったとしても聖書の神が、私たちを愛しておられることを知って下さい。


「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。」Ⅰヨハネ49


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by sayama_church | 2015-10-18 20:08 | 牧師の窓 | Comments(0)
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