震災の痛み

 熊本地震の被災状況が、新聞やテレビを通して連日伝えられています。救援の活動の輪が至る所で起きているようですが、キリスト教界においても九州キリスト災害支援センターが立ち上がりましたので、これから全国の教会が祈りと共に具体的な支援活動をすることになると思います。

1995年の阪神大震災はボランティア元年と言われています。あの時から災害が起こると多くの若者が全国からボランティアに集まってくるようになったからです。そのことは、とても麗しいのですが、一方では「やじ馬的」「観光気分」「自分探し」という厳しい意見も一部にあるようです。当事者の痛みを自分の痛みのようにして仕えるのは、本当に難しいです。

ところで聖書にはガルラヤ人が災難にあったときにイエスが次のように言われたと書いてあります。イエスは彼らに答えて言われた。「そのガリラヤ人たちがそのような災難を受けたから、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い人たちだったと思うのですか。そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。」(ルカ13:2,3

 人は災難に会うと、ハタと自分を振り返り、自分の罪に気が付くことがあります。そして罪を悔い改めて神を求めます。もしかしたら、それは神が災難を赦される一つの理由かもしれません。けれども、ここで主イエスは霊的な覚醒を、災難を受けた人だけではなくて、「あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。」と言われて、周りのすべての人に求めています。

この度の九州の災害の痛みを日本国中の人が自分の痛みとして受け止めて、神の前にへりくだることができたら幸いです。物質的な復興とともに荒廃した日本人の霊的な魂の復興はもっと大切だからです。まず、私たちキリスト者が神の前に進み出て、悔い改めることから始めるべきなのではないでしょうか。


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by sayama_church | 2016-04-24 20:53 | 牧師の窓 | Comments(0)
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