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受動的人間

 私は、今は亡き父に「おまえは、子どものころお菓子をあげるよと言われると手を出すのではなくて口を開けるように子だった。」と言われたことがありました。そのように言うときの父は、たいてい私が物事に対して自ら進んで積極的に、機敏に取り組むのではなくて、受動的で、ゆったりと、状況が整えられるのを待ってから腰を動かすのを揶揄してのことでした。

 人には、生まれながら色々な性格があると思いますが、どちらかと言うと私はおっとりした、受け身的な人間なのかもしれません。そんな私が安定した生活を営んでいたサラリーマンを辞め、献身をして、開拓伝道をしてきたのですから神様は本当に不思議なことをなさるものです。

 ところで私は、ある時聖書の中に自分と似たようなタイプの人を見出してとても慰められました。ユダのヨシャパテ王です。彼はモアブ人とアモン人の外敵に攻められたときに次のように祈りました。「私たちに立ち向かって来たこのおびただしい大軍に当たる力は、私たちにはありません。私たちとしては、どうすればよいかわかりません。ただ、あなたに私たちの目を注ぐのみです。」Ⅱ歴代誌20:12

 ヨシャパテは、難題を乗り越える力の無いことを自覚しました。そして彼は、小賢しい策を練ることをせずに、無力な両手を開いて神の憐れみと助けを求めたのです。結果はどうだったでしょうか。彼は見事に戦いに勝利します。「この戦いはあなたがたの戦いではなく、神の戦いである。」(Ⅱ歴代誌20:15と神が戦って下さったからです。

 受動的な人間に見えるかもしれませんが、やはり私は神がして下さることを受けとめて歩んでいきたいと思います。「神よ、私を通して神の栄光を人々が見るようにしてください!」 


by sayama_church | 2016-05-23 16:29 | 牧師の窓 | Comments(0)
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