生きるとは

 ときどき耳にします。「神様は不公平だ。」「神様が生きておられるのなら、どうして私をこのように造ったのか。」「もっと頭がよく、もっと美人にしてくればよかったのに。」こんなことを言うのは、若い人、とくにクリスチャンの子どもや青年かもしれません。神様が私たちを創造されたと教えられているからです。

 聖書にとても面白い記事があります。主イエス様が語られたたとえ話です。主人がしもべたちを呼んで、それぞれに5タラント、2タラント、1タラントを預けて旅にでました。すると5タラントの人はもう5タラント、2タラントの人はもう2タラントを商売してもうけましたが、1タラントの人は地に隠して何もせず、1タラントのままでした。やがて主人が帰り、清算のときになりました。すると、主人は、5タラント、2タラントをもうけた人には「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。」(マタイ25:21とほめますが、1タラントの人には、「悪いなまけ者のしもべ。」(マタイ25:26と厳しく叱り、持っていた1タラントを取り上げ、外の暗闇に追い出してしまいました。

 この話は何を教えているのでしょうか。人は生まれながら持っている賜物、能力は違いますが、何かしらの賜物、能力をだれもが与えられています。少なくとも1タラントを。実はこの1タラントは相当な金額でした。大切なことは、自分の賜物、能力を他の人と比べるのではなく、それを活用し、用いることです。

人生とは、与えられている賜物を活かし、用い、発展させる創造的な営みです。言うまでもなくそこには、あきらめない工夫と努力が必要です。それが生きることなのです。

  


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by sayama_church | 2016-07-03 17:45 | 牧師の窓 | Comments(0)
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