神の細い声

人は、新しいもの、珍しいこと、刺激、興奮を求めますが、平凡を嫌う傾向があります。次から次に出てくる新製品、目まぐるしく変わる流行はその表れでしょう。しかし、すぐに飽きが来て次の刺激、興奮を求めます。

信仰の世界でも、同じことが起きます。目を見張るような奇跡や不思議、心をワクワクさせるような大事業、大群衆と大歓声・・・等々を期待します。これらは、否定されるものではありません。私は、多くの人々が救われ、聖霊による力強い働き進められることを祈り、夢見ています。地域、そして日本の救いのためにそのことが必要であり、神がそのことを成し遂げてくださることを信じています。けれども、現象はそれが例えどんなに素晴らしいものであったとしても信仰者にとって本質的なことではないことを肝に銘じておかなければなりません。

エリヤが主の前に立ったときのことです。激しい大風が山々を裂き、岩々を砕きました。地震が起こり、火がありました。しかし、主は風の中にも、地震の中にも、火の中にもおられませんでした。「火のあとに、かすかな細い声があった。」(Ⅰ列王記1912とあります。人は風や地震や火と言う圧倒されるような現象に目を奪われます。しかし、そこに主はおられません。信仰者にとって本質的なことは、神の細い声を聞いて生きることにあるのです。

周りがどのように思うかという人の声、私が何をしたいのかと言う自分の声ではなく、主の御声を聞いて歩む私たちとならせていただきましょう。

「お話しください。しもべは聞いております。」(Ⅰサムエル310


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by sayama_church | 2016-09-25 20:54 | 牧師の窓 | Comments(0)
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