キリストに出会う

 クリスチャンは時々「キリストに出会う」という言葉を使います。それはどういうことなのでしょうか。

 聖書の中にペテロという人物がでてきます。彼は漁師でした。ある時、魚一匹とれずに失意に沈んで湖で網を洗っているところにイエスが現れ、こう言われました。「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい。」(ルカ5:4当然、ペテロは答えました。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。」(同5:5それでもペテロは、半信半疑で網をおろしてみると、何と大漁のために網が破れそうになったのです。そのときペテロは、イエスの足もとにひれ伏して言いました。「主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから。」(ルカ5:8

 実は、ペテロはこの時に初めてイエスに出会ったのではありませんでした。既に、イエスはペテロの家に行ったことがあり、しゅうとめの熱病を癒しています。ペテロは、これまでにも何度もイエスに会ったことがあり、感謝、尊敬、好意の念も抱いていましたが、真にイエスに出会ってはいませんでした。彼がイエスに本当の意味で出会ったのは、イエスに生ける神を感じ、生ける神の前に立つ自分の罪深さに気が付いたときでした。

 キリストとの出会いは、自分の思いと力に頼って生きることに行き詰まり、神の前に立つ自分の罪深さに気が付いたときに起こるのです。そのとき、イエスが何者であるかが分かるのです。それは、イエスが罪を痛み悲しみ者に断罪ではなく赦しを与え、ペテロに「こわがらなくてもよい。これから後、あなたは人間をとるようになるのです。」(同5:10と語られたように、神の恵みと力によって生きる新しい人としての将来と希望を与えて下さるキリスト(救い主)であることが分かることなのです。


[PR]
by sayama_church | 2017-03-19 23:02 | 牧師の窓 | Comments(0)
<< 2017年3月26日(日)のご案内 2017年3月19日(日)のご案内 >>