主が私たちのために死なれたのは

今日から受難週を迎えます。受難週は、キリストの復活を記念するイースターまでの一週間で、キリスト者は十字架の苦しみを覚えて、格別に敬虔な思いでこの週を過ごすことを習慣としてきました。私が学んだ神学校(全寮制)では、受難日(キリストが十字架に磔にされた金曜日)には、朝食は無く、午前中はそれぞれ密室で聖書を読み、祈りと黙想のときを持つように指導されました。

聖書はキリストの受難の目的について次のように語っています。「主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。」(Ⅰテサロニケ5:10)

 キリストが苦しみを受け、十字架で死なれたのは私たちの罪の贖いのためでしたが、ここでは「私たちが主とともに生きるためである」と記されています。キリストの十字架による救いは、罪の赦しであり、永遠のいのちを受けることであり、神の子とされることでありますが、別の言い方をするならば「私たちが主とともにあるようになること」、すなわち「キリストが私たちとともにいてくださること」なのです。主がともにいてくださることは、救いです。そして信仰生活は「主とともに生きること」なのです。

この受難週、主のご臨在を格別に覚えながら過ごす日々でありたいと願うことです。そしてまた、私たちの人生が、喜びの日も悲しみの日も、順調なときも逆境のときも、心躍るような日々も平凡な日々も、いかなるときにもともにおられる主を覚え、確認しながら歩むものでありますように。それが「敬虔のために自分を鍛錬」(Ⅰテモテ4:7することでもあります。

 


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by sayama_church | 2017-04-09 20:12 | 牧師の窓 | Comments(0)
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