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主を待ち望む者に

次から次へと生まれる重荷や労苦のために、ものごとが願うように進まないことのゆえに、心が疲れ、すり減り、沈むことはないでしょうか。

聖書にこんな御言葉があります。「ヤコブよ。なぜ言うのか。イスラエルよ。なぜ言い張るのか。『わたしの道は主に隠れ、私の正しい訴えは、私の神に見過ごしにされている。』と。・・・若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」イザヤ40:2731

ここで「ヤコブ」「イスラエル」と呼ばれている人は、明らかに「自分は神に忘れられているのではないか」と思いたくなるような苦しみの中にいます。それで「わたしの道は主に隠れ、私の正しい訴えは、私の神に見過ごしにされている。」と言っているのです。私も、青年時代に、思うように道が開かれない状況に鬱鬱として、この御言葉に大変共感を覚えたものでした。しかし、主は「疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける」(イザヤ40:29お方です。主を待ち望む時に、重荷や困難がむしろ天空高く舞い上がる鷲の翼のように変えられるのです。

心が疲れ、沈むとき、問題や課題を見つめたり、他人と比較したり、自分を嘆いたりするのではなくて、主を待ち望ませていただきましょう。必ず鷲のように翼をかっての上る力が与えられます。


by sayama_church | 2017-07-10 07:17 | 牧師の窓 | Comments(0)
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