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日々の生活では、実に様々なことが起こります。たとえ他人にとってはつまらない、小さな出来事に見えても、当の本人にしてみれば心が揺さぶられたり、沈んだり、悩んだりすることもあるでしょう。平凡な毎日の中にあっても、人は精神的には、暗やみの世界を遍歴することがあります。

オズワルド・チャンバーズは、「見よ、彼が、雲に乗って来られる」(黙1:7を引用して、こんな霊想を述べています。「聖書では、雲はつねに神と関連して出てくる。私たちの個人生活にとって、雲とは悲しみや苦しみをもたらし、神の秩序を乱すように思えるものである。しかし、この雲を通して、御霊は私たちに信仰によって歩くことを教えられる。・・・雲は、神がそこにおられることのしるしである。・・・神は・・・あらゆる雲を通して、私たちの信仰がますます単純になって、ついに幼子のようになることを望んでおられる。そのようになった時、神と私の魂だけが見え、他の人々は影にすぎなくなる。」(オズワルド・チャンバーズ著「いと高き方のもとに」)

 私は、ある時、どうしてこんなに心を乱し、悩ますことが起こるのだろうかと考えたとき、「神は私を訓練しておられる。どんな状況においてもそこに共におられる神を認め、神にのみ目を留めるように。」という思いに至ったことがありました。オズワルド・チャンバーズが言っている通りです。

 信仰者は、どんな時にも主イエスを認め、主イエスに目を向けるべきです。主イエスに目を向けている限り沈むことなく、道は必ず開けます。


by sayama_church | 2017-07-30 19:59 | 牧師の窓 | Comments(0)
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