明日は、敬老の日です。人生の先輩の皆様には、心からのお祝いを申し上げたいと思います。「本当に、おめでとうございます!」
私は、いつもお祝いする側にいるのですが、最近になりましてフッと自分もそう遠くない将来にはお祝いされる側に立つときが来るのだという思いが過りました。当たり前のことではありますが、今までにない気持ちでした。それだけ、私も年齢が進んだということなのでしょうか。
ところで聖書には次のような御言葉があります。「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」(Ⅱコリント4:16)
牧師として、様々な人の人生に関わりを持ってきましたので、年を取ることの意味や重さを垣間見る機会は、比較的に多くあったように思います。これまでできていたことが段々とできなくなっていき、やがて人の助けがなくしては日常の生活が困難になってしまうことは、大きな試練であることをしばしば感じてきました。しかし、ここに大きな希望があります。
「外なる人」である肉体は、年を重ねるにしたがって残念ながら少しずつ衰えていきますが、私たちの内面である「内なる人」は、日々新たにされることができるのです。イエス・キリストを信じる者は、天国に相応しい者へと聖霊によって日ごとに造りかえられ、年を重ねれば重ねるほど天国への希望を抱いてますます輝くことができるのです。