先週は認知症をテーマに第二回キリスト教エンディンクテンセミナーを開催いたしましたが、雨の中にもかかわらず多くの方が集われて、皆さんの関心の高さを感じさせられました。
認知症になっても「嬉しい、悲しいなどの人間としての感情は最後まで残る」「その人がその人になっていく」との講演者(当教会員のE姉)の言葉は、私の心にとても響いて残りました。たとえ認知機能が衰えても、依然として私たちは神に創造され、神に愛されている尊い存在なのです。
もう召されましたが、年を重ねて認知症になり、グループホームに入所された教会員がいました。初めの頃は、軽かったように思いましたが、だんだんと症状が進み、私のことも、息子さんでさえ、だれであるか分からなくなっていきました。けれども、訪問をするといつもにこやかに迎えて下さり、讃美歌を歌うと大変喜ばれ、祈りにも心を合わせて下さいました。私は、いつもほのぼのとした、すがすがしい気持ちで施設を後にしました。
たとえ認知症ではなくても年を重ねて自分の力が一つ一つ失せていくとき、人の内にあるものが顕著に現われてきます。私たちの心の奥底にあるものがキリストによる平安と喜びであるようにと祈ることです。
「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」Ⅱコリント4:16