先日聖書を開いているとき、こんな言葉が私の目に飛び込んできました。
「あなたは正しすぎてはならない。知恵がありすぎてはならない。なぜあなたは自分を滅ぼそうとするのか。悪すぎてもいけない。愚かすぎてもいけない。自分の時がこないのに、なぜ死のうとするのか。一つをつかみ、もう一つを手放さないがよい。神を恐れる物は、この両方を会得している。」 伝道者7:16~18
とても印象的な聖句で深く心に残りました。ここには、「正しすぎてはならない。」「知恵がありすぎてはならない。」と不思議に感じる言葉があります。
私は、とてもりっぱな牧師の下で信仰に導かれ、養われました。そして、信仰の奥深い世界を教えていただきました。しかし、その一方でその先生から教えられたことに対して強い頷きと確信を持つあまり、他の教派、教会に対して、言葉には出しませんが「あれはどこか違うのではないか。」という思いをよく抱いたものでした。自分に対する確信が強いあまり、自分とは異質なものを排斥してしまう心があったのです。
これが、「正しすぎる」「知恵がありすぎる」ことではないでしょうか。学んで確信したことをしっかり握っていることは大切です。しかし、自分の理解、考え、主張に固執し、囚われ、自分以外の考えに聞く耳を持つことができなくなると、自我の殻の中で霊的命を失うことになりかねません。いつでも、謙遜に自分とは異なる理解、意見、考え方にも耳を傾けるものでありたいです。