人気ブログランキング | 話題のタグを見る

悲しみが希望に

 人生には、どうして困難や苦しみ、そして悲しみがあるのでしょうか。なぜ、忍耐を要するところを通るのでしょうか。
 一つはっきりしていることがあります。それは、キリストは苦しみと悲しみの人、忍耐の人だったことです。聖書にはこうあります。「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。・・・彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。」 イザヤ53:3・4 「どうか、主があなたがたの心を導いて、神の愛とキリストの忍耐とを持たせてくださいますように。」 Ⅱテサロニケ3:5
 キリストほど、悲しみと忍耐の人はいませんでした。涙の中を通られた方はいませんでした。この事実は、何を意味するのでしょうか。キリストがそうであったならば、苦しみの経験は、私たちの内なる人をキリストに似たものに訓練するのではないでしょうか。私たちの涙は、キリストに深く出会い、キリストの慰めを経験する恵みに逆転するのではないでしょうか。悲しみと涙は、キリストにあっては祝福と変えられるのではないでしょうか。
 旧約聖書の伝道者の書もこう言っています。「悲しみは笑いにまさる。顔の曇りによって心は良くなる。」 伝道者の書7:3
 先週は、私たち夫婦にとりましては少なからず心を重たくするようなことがありました。けれども、すべてをお知りになられている主におゆだねさせていただきたいと思います。すべてを最善に、そして希望へと変えてくださる主がいらっしゃるのですから。
by sayama_church | 2007-11-06 23:51 | 牧師の窓 | Comments(0)
<< 愛される人から愛する人に 秋のチャペルコンサートのお知らせ >>