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よろいを脱いで

 こんな話を聞いたことがあります。一人の牧師がPTA関係の集まりに招かれてお話をしました。小さな集まりであったのでしょうか、彼はある条件を出して輪になって分かち合いをしました。その条件は、ここで語られたことを決して他言しないこと、人を教えるようなことを言わないことでした。一人一人が心にある重荷や悩みを率直に話し始め、中には涙ながらに語る人もいたそうです。「こんなに心癒されたことはなかった。」というのが参加者の感想でした。
 普段、ほとんどの人が自分の弱みを見せまいとして、鎧を着ています。悲しいことですが、そうしなければ生きられない、自分が傷つく世界だからです。神を離れた罪の世界です。けれども友や知人に対してならばまだしも、家族や親しい友に対してもそうだとしたら辛いことです。実は、神は交わりを持つ者として人を創造されました。ですから心が通い合い、真の交わりがあるところに、私たちは幸福を感じます。鎧を着けたままだと真の交わりは生まれません。
 すばらしいことに、イエス・キリストに救われた人は、神との交わりと人との交わりの豊かさを経験することができます。聖霊による交わりです。その交わりは、その人の存在そのものを根底から支えます。私たちは、神によって無条件に愛されています。ですからありのままに自由に生きることができます。鎧で身を覆う必要はありません。私のようなつまらない、汚れ果てた者を愛して下さる神の愛を知れば知るほど、聖霊は、鎧を脱ぎ、他者を受け入れる心にして下さいます。

「私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。」Ⅰヨハネ1:3

(2006.3.5)
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by sayama_church | 2006-03-09 19:28 | 牧師の窓 | Comments(0)

恵みのパンくず拾い

 不思議なことですが、私たちはすぐに物事を忘れていきます。いつまでも記憶に留めていることもありますが、大概のことは忘却のかなたです。イエスは、この人間の鈍さをご存知だったのでしょうか、恵み・感謝を数えるように教えています。
 聖書はイエスによるパンの奇跡を2回記しています。一回目は、5つのパンと2匹の魚で5000人を、2回目は、7つのパンと少しの魚で4000人のお腹を満たしています。そしていずれの時も、イエスはパン切れの余りを集めさせています。初めの場合は12のかご、次は7つのかごが一杯になりました。
 私たちは、毎日を何気なく暮らしていますが、実は神様からいただいた恵みのパン切れが、たくさんこぼれ落ちているのではないでしょうか。時折、それらを拾い集め、神の恵みを思い起こし、しっかりと心に留めておくことは大切です。
 私たちの教会では、毎月発行する「デボーションのしおり」の中に「祈りのノート」を設けて、皆で共通の課題のためにお祈りしています。今回は、二つの祈りの答えを報告して、主に感謝したいと思います。
 一つは、教会の駐車場を広げられたこと。先週、地主さんの許可をいただき、懸案の場所を借りることができました。入口の木も抜いたために、間口が広がり、出入りも楽になりました。この駐車場が祝され、教会を訪れる車で一杯となり、さらに広い駐車場が必要となるように祈る気持ちです。もう一つは、牧師住居が教会堂とは別の場所に与えられそうなこと。これで教会堂のすべてを教会活動のために用いる目途が立ちそうです。これは、すぐには答えられそうにない大きな課題でしたので、主が備えてくださったとしか言いようがありません。数えてみよ、主の恵み!   

「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」詩篇103:2

(2006.2.26)
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by sayama_church | 2006-03-09 19:26 | 牧師の窓 | Comments(0)

明るく生きる秘訣

 昨日は、JOYJOYクラブがありました。今のところは毎月一度、小学5年生~中学生、年齢にすると10歳~15歳のお友達のために開いています。お昼に集まって、皆で食事を作ることから始まり、一つテーブルでたっぷりと昼食と会話を楽しんだ後に聖書を学び、そしてゲームや手芸などをして終わります。
 多い時は、7~8人、少ない時は3~4人のお友達が集まりますが、昨日はたったの1名でした。けれども、その1名がとても感謝でした。彼は、教会員のお孫さんで、車椅子の少年です。思わず、「君が来てくれてありがとう。」と言ってしまいました。彼が、いなければ昨日のJOYJOYクラブは成り立ちませんでした。本当に感謝でした。そして会はとても楽しく、暖かく、すばらしいものでした。
 一つの出来事に出くわす時に、それを肯定的に見るか否定的に見るか、プラスに捉えるかマイナスに捉えるか、感謝するか失望するか、両方とも可能です。けれども、まことの神を知り、神のご愛を経験し、神の導きを信じているキリスト者は、常に肯定的に、プラスに、感謝に捉えたいと思います。それは人生の歯車を健全に、明るく、楽しく、積極的に回転させる秘訣です。
 このことは万事につけて言えます。人の欠点や足りないところばかり見つめていると、心がいらいらしたり、批判的な思いで心が暗くなります。しかし、ものごとの良い面を見ていくと希望が生まれてきます。聖書は、こう言っています。
 「すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、賞賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。」
 ピリピ4:8


(2006.2.19)
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by sayama_church | 2006-03-09 19:23 | 牧師の窓 | Comments(0)

これでよいのか日本

 昨日は、娘の通う幼稚園の「親子登園日」でした。普通ならば、父親参観日とでも言うのでしょうが、この幼稚園では、「親子登園日」と言います。文字通り、親は参観者ではなく、子どもと一緒に、リレーをしたり、歌を歌ったり、餅つきをしたりと、たっぷりと楽しみました。
 その中で毎年、聖書または聖書に関るお話を聞く時間があります。今年は国際飢餓対策機構の総主事の神田英輔氏が飢餓の問題を講演してくださいました。
 一枚の写真が示されました。エチオピアの少年です。地面に両手と両膝をついています。飢えのために、小さな石を掘り出しては、噛み砕いて食べていました。
 世界の穀物生産量は、実は全世界のすべての人々のお腹を十分に満たして余りがあるそうです。けれども何と、世界の4分の1の先進国が、全世界のすべての食料の8割を食しています。そして4分の3の開発途上国の人々が残りの2割の食料を分け合っています。モザンビークは、美味しいえびの産地ですが、現地の人は、えびを食べることはほとんどできません。日本が全部持っていきます。インドネシアのある島では、全島のすべての土地に日本向けのお茶だけを栽培しています。土地の人の食料は、何も作っていません。飽食と貧困、否飢餓。うすうす分かってはいましたが、言葉を失いました。
 世界の食料問題は、結局は自分さえよければ、他人はどうでもよいという私たち人間のエゴに行きつくように思われます。日本は、本当にこれで良いのでしょうか。

 「あなた方は、地上でぜいたくに暮らし、快楽にふけり、殺される日にあたって自分の心を太らせました。」(ヤコブ5:5)

(2006.2.12)
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by sayama_church | 2006-03-09 19:20 | 牧師の窓 | Comments(0)

土の器

 先週の世話役会で、こんな発言がありました。「新しい方や求道者がお出でになられたときは、皆が心から迎え、挨拶をしたり、声をかけたりしましょう。」そのとき、お一人の方が、言われました。「挨拶したり、世間話をしたりすることはできるが、信仰の話となると、自分は相手のつまずきになるような気がして心配だ。」
 とても謙虚な、正直な発言だと思いました。また神を恐れる心があるからこそ出てくる言葉でもあることも良くわかりました。しかし、後日こんな言葉が心に通ってきました。
 「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。」(Ⅱコリント4:7)
 恐らく、だれ一人として自分は立派な信仰者であると胸をはれる人はいないでしょう。むしろ、弱くて、もろくて、過ちを犯しやすい、まさに「土の器」であると感じています。ただキリストの十字架の功により頼むのみです。ところが、この土の器の中に宝をもっているのです。栄光の神が宿っておられるのです。さらに驚くべきことは、神はこの土の器であり、罪人である私たちを用いて、ご自身の力と栄光を明らかにしようとされているのです。ですから私たちは自分自身を見つめて失望する必要はありません。イエスに目を注ぎ、イエスに期待しましょう。
 同時に、イエスに自分の心の領域、生活の領域を、示されるままに捧げ、明け渡すことも大切です。ある方は、イエスを心の玄関と居間にだけ通し、決してイエスのご支配にゆだねようとしない秘密の部屋を持ちます。しかし、イエスは私を迎えよ。私の支配にゆだねよ、と言われます。イエスをすべてとする人は幸いです。

(2006.2.5)
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by sayama_church | 2006-03-09 19:18 | 牧師の窓 | Comments(0)