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教会の交わり


 今日、私は三沢でご奉仕させていただいています。ここに、人数は僅かですが、主を愛し、主に仕えている小さな群れがあります。家の教会です。常駐の牧師も役員もいませんので、組織的には家庭集会であり、教会ではありません。でも霊的な意味では、りっぱな教会です。なぜならば、教会とは、この世から召しだされた贖われた民の集まりであるからです。教会の本質は、聖徒の聖霊による交わりにあります。
 シマウマのこんな話を聞いたことがあります。シマウマは、一頭一頭は弱い動物です。しかし、ライオンの攻撃を受けると、頭を内側に、お尻を外側に向けて、輪になって円陣を組みます。頭と頭を寄せ合い、体をくっつけて。そしてライオンが近づこうものなら、後ろ足で蹴り上げます。これには、さすがのライオンも近づけないそうです。ところが、やがてライオンの威嚇に恐れをなしたシマウマが、群れから飛び出すことがあります。そのとき、ライオンはその一頭に狙いを定めて、襲いかかります。
 私達も、一人一人は弱い存在です。けれども、共に集まり、共に礼拝を捧げ、祈り、励ましあうことによって、悪魔に打ち勝っていくことできるのです。教会の交わりが、肉的なものではなて、聖霊によって互いに励まし、慰めあうことのできる真の交わりとなりますように祈りましょう。
「またある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。」ヘブル10:25

                              (2006.6.25)
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by sayama_church | 2006-06-29 09:24 | 牧師の窓 | Comments(0)

日本のために祈る


 今、少子化の問題が騒がれています。団塊の世代は、まもなく退職時期を迎えようとしています。人口構成は完全に逆ピラミット型になり、このままでは、将来の日本社会を支えきれなくなるだろうとだれもが心配しています。
 実は、日本のキリスト教界も同様な問題を抱えています。日本の教会をこれまで支えてきた多くの牧師たちは、今引退の時期を迎えつつあります。しかし、後に続く牧師や伝道者は、若くなるほど少なくなるのです。近々、無牧の教会や統廃合される教会が急増するのではと言われています。私が耳にした話では、某教団では、向こう数年で、教会数を三分の二に統廃合せざるを得ないだろうとのことです。
 どうして献身する若者が少なくなったのでしょうか。なぜ救われる人が少ないのでしょうか。リバイバルの掛け声とは裏腹に、日本のキリスト教界は概して、霊的な力と輝きが乏しくなり、世の光、地の塩としてのこの世に対する力を失いつつあるのではないでしょうか。言い過ぎかもしれませんが・・・・。
 今の時代を士師記6章のギデオンの時代のように感じられることがあります。イスラエルはエジプトの奴隷から救い出され、約束の地であるカナンへと導かれたにもかかわらず、神の声に聞き従わなかったために、ミデヤン人の圧迫を受け、非常に弱められていました。今日の教会も世俗化の波を受け、神の言葉に水増しし、霊的なインパクトを失っているのかもしれません。
 イスラエルは、苦難の中から主に叫び求めました。すると、主はギデオンを起こされ、イスラエルをミデヤンから救われました。私たちも主に叫び求めましょう。   
「するとイスラエル人は主に叫び求めた。」士師記6:6
                        (2006.6.18)
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by sayama_church | 2006-06-20 23:33 | 牧師の窓 | Comments(0)

こんな私を


 先週、ある会合に出席していた時です。一人の牧師がこんなことを言われました。
「こんな私が、このように変えられたと言うあかしが、なかなか聞かれない。どうしてか多くの人は、《こんな私》というところを隠してしまう。だから、御名が崇められない。」
 なるほどと思いました。確かに、私たちは自分の弱さとか失敗を隠そうとします。自分の本当の姿を決して見せません。そのために真の交わりも生まれてきません。
 ところがパウロという人物は、《こんな私》という部分を決して隠したり、繕ったりしませんでした。そして、徹底した恩寵感に生きた人でした。彼は、こう言っています。
「私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。」Ⅰコリント15:9,10
 パウロは、神の教会を迫害しました。ステパノが石打の刑を受けて殉教するときに、そこに立ち会いました。しかし、彼は、自分の最も恥ずかしい、隠したい事実を、弁解することも、自分の義を立てて繕うこともしませんでした。ただありのままの事実とありのままの自分を認め、神の前に心砕かれました。パウロにとっては、言葉だけのきれいごとではなく、本当に《今あるのは》神の恵みだと感じたのです。
 私たちは、もっと率直で、素直で、ありのままで良いのはないでしょうか。《こんな私》をもっと神の前にさらけ出してよいのではないでしょうか。そして、神の恵みによって今の私になりましたとあかししようではありませんか。
                          (2006.6.11)
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by sayama_church | 2006-06-15 15:32 | 牧師の窓 | Comments(0)

変わる勇気


 私は、家族から「あなたは、人当たりは柔らかいが、根は頑固だ。自分を変えようとはしい。」と言われることがあります。なるほど、わが身を省みると思い当たることが沢山あります。私が卒業した神学校は、型にはめることで有名でしたが、ある方から「あなただけは、型にはまらなかった。」と言われたことがあります。昔から自分が良いと思わない限り、流行を追い求めたこともありませんでした。良く言えば、自分を持っている、悪く言えば、頑固となるのでしょうか。
 けれども、最近、自分は変わらなければならないのではないか、ことに救霊のためには自分を変えていかなければならないのではと感じるようになりました。
 ある韓国人宣教師がこんなことを言われました。「日本人は変わることが嫌いです。変わらないことに安心感を持ちます。しかし、時代も社会も動き、変わっています。ですから、変わらないものと変わっていかなければならないものを識別する必要があります。福音は変わりません。しかし、福音を提示する方法は、変わらなければなりません。」
 より多くの人々の心に届くためには私たちは変わらなければならないのかもしれません。そうだと感じたら喜んで変わりましょう。変わる勇気を持ちましょう。キリストも変わって下さったのだから。神の立場から人の立場に。

「ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。それはユダヤ人を獲得するためです。・・・弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。」Ⅰコリント9:20~22
              
 (2006.6.4)
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by sayama_church | 2006-06-07 22:22 | 牧師の窓 | Comments(0)