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心が変わる


いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。       Ⅰテサロニケ5:16~18

 すばらしい言葉だと思いませんか。このような生活を送る方は本当に幸せな人だと思います。けれども不平、不満、愚痴・・・こうしたものが口からでてきますと、自分も周りの人の心も暗くしてしまいます。
 人間は、心にあることが自然と唇や態度に出てくるものです。その人がどんな人であるかは、しばらく付き合ってみれば何となく分かってきます。人間の内側にあるものが外側に出てくるからです。ですから、内側が変わらなければ、どうすることもできません。この言葉にあるような、「いつも」「絶えず」「すべての事について」となると、一時的な頑張りや心がけではどうにもなりません。私たちの心が変わる必要があります。
 実は、この聖書の言葉のポイントは、「キリスト・イエスにあって」ということです。つまりこういうことです。キリスト・イエスにあって初めてこうしたことが可能になってくるのです。
 キリストは、喜びの人でした。祈りの人でした。感謝の人でした。私たちが、真心から罪を悔い改め、キリストを心にお迎えするとき、キリストは私たちの心を造り変えて下さるのです。あなたもそうした人生を歩み出されますように。
                            (2006.7.23)
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by sayama_church | 2006-07-27 08:21 | 牧師の窓 | Comments(0)

福音を伝える


 福音は、私たちの人格や行い、態度で伝えるものだと言われることがあります。そうした面もあることは事実ですが、聖書は、何よりも福音は《ことば》によって伝えられるものだと告げています。
「宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。・・・・信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」  (ローマ10:14~17)
 先日、教会で仕事をしていたとき、「ピンポーン」とチャイムが鳴るので、慌てて玄関に行きました。すると戸の外に一人の青年が立っていました。すぐに戸を開け、中に招き入れると、「教会を見学しても良いですか。」とのことでした。私は、喜んで礼拝堂にご案内しました。聖書を手に取り、何が書かれているのですかと問われたので、魂の救いについて簡単にお話しました。すると彼は「私は大学4年生で、就職も決まっているのですが、なぜか毎日生きる力が湧かなく、無気力になってしまうのです。どうしたらそれを受けることが出来るのですか。」と言うのです。そこで、私はキリストを救い主として信じて、心に迎えられるように勧め、一緒にお祈りを捧げました。祈り終わったとき、「何かすっきりとしました。」そう言われました。住まいは国分寺だと言うので、近くの教会を紹介して差し上げました。ほんの20分~30分のアッという間の出来事でした。
 私たちは、毎日様々な人に出会いますが、もしかしたら、主は、私たちのそばに魂の救いを必要としている人を導いておられるのではないでしょうか。そんなとき、はっきりとキリストをお伝えしたいものです。私たちのことばによって。
                          (2006.7.16)
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by sayama_church | 2006-07-19 15:23 | 牧師の窓 | Comments(0)

十字架の赦しのもとに


 先週の水曜日、私達の教会は韓国の教会から20名ほどの青年と牧師、長老をお迎えして、交流のときを持ちました。それは、とても印象深いときでした。韓国人牧師は、私と同年代の方でした。彼はメッセージのとき、次の聖書の御言葉を開きました。
 そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯したばあい、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」イエスは言われた。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。」(マタイ18:21~22)
 彼は、この御言葉を通して、赦しについて語られました。イエス様の十字架によって罪赦された者は、互いに赦しあうべきであると。そして、大変正直に、率直に、「私は、日本について良い感情を持っていなかったことを悔い改めました。私は日本を愛します。」と言われました。その真実な言葉に私は心を打たれました。
 会食のとき、俳優をしていると言う一人の青年が、こんなことを言いました。「正直に言って、私たちが祖父母や親から日本について聞いてきたことは、従軍慰安婦など良いことではありませんでした。私は、『丸太』(日本人が韓国人を丸太のように侮辱して扱ったことを記した本か?)を読みました。日本人は皆、韓国人をそのように思っていると考えていました。でも、この教会に来て、自分は間違っていたことが分かりました。私の日本に対する心は変わりました。」
 日韓の間にある傷の深さに驚きました。けれどキリストの十字架は、敵意を除き、お互いに赦し合い、愛し合うことができるようにして下さることも知りました。
                             (2006.7.9)
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by sayama_church | 2006-07-14 00:05 | 牧師の窓 | Comments(0)

教会の使命


 19世紀にイギリスのウイリアム・ブースによって始められた救世軍と言う働きがあります。日本でも社会鍋や病院、社会福祉などでよく知られています。救霊と社会事業を両輪として大衆にキリストを伝え、世を救うことを使命としています。
 ところで、《世を救う》と言うことは、救世軍だけの使命ではありません。実はすべての教会の使命であります。と言うのは、それはキリストのお心だからです。ですから、健全な教会は内向きではありません。内部だけの交わりを楽しんでもいません。いつもキリストの救いを知らない99パーセントの世の人に目を向けています。そして世に出て行き、キリストの救いを伝えることを重荷としています。
 最近、私はこんなことを考えるようになりました。大概の人は、伝道は牧師の仕事だと考えている。けれども、世の人々と接する機会は、牧師より信徒の方々のほうがはるかに多い。むしろ、牧師は自ら伝道する以上に、キリストの心をもって伝道する信徒を生み出すことの方がはるかに大切で、聖書的なのではないかと。
 愛する皆さん、周りを見渡しましょう。今は年に3万人以上の自殺者が出る時代です。生きていくことが息苦しいような社会です。キリストの恵みを豊かにいただき、この世に出て行こうではありませんか。
 また教会は、もっと社会との接点を多く持つ必要があるように思います。世を救うために教会があるのに、世から浮出て良いはずはありません。教会は、老人福祉施設や幼稚園などを持つことも必要なのではないか、真面目に考え、祈らされます。
「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」
Ⅰテモテ1:15

                              (2006.7.2)
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by sayama_church | 2006-07-06 22:42 | 牧師の窓 | Comments(0)