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孤独からの解放

 こんな話を聞いたことがあります。ある職場にとてもよく喋る男性がいました。あまりにもペラペラ口を開くので、周りの人はいささかまいってしまい、彼に言いました。「少しは、黙っていろ。」すると彼は、しょげてこう言い返しました。「だって、俺は家に帰っても、壁と向き合うだけで、だれも話し相手がいないんだもの。」  
 人間にとりまして孤独は、辛いことです。人間はそのように創造されていないからです。人間は、交わりを喜び、楽しみ、必要とするように造られています。けれども、今日は孤独を感じている人があまりにも大勢です。
 ところで聖書が教える救いとは何でしょうか。聖書はいろいろな言葉で言い表しています。罪のゆるし、神の子とされる、永遠のいのち、神との和解・・・・・。そして、もう一つあります。神との《交わり》です。聖書は、こう言っています。
「神は真実であり、その方のお召しによって、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられました。」Ⅰコリント1:9
 私は、子どもの時に、とても寂しい気持ちになり、よく孤独を感じました。それは、恐らく、両親が忙しく、一人家に残されることがしばしばあったためだろうと思います。しかし、それだけにキリストを心から信じたときの喜びは格別でした。それは、私は神に受け入れられ、神が私とともにおられることを実感したからです。もはや、私は一人だとは感じませんでした。
 私たちの魂は、神との交わりを持つように造られています。神と交わりを持つときに、心は満たされ、生きている喜びと感謝が生まれるのです。一人でも多くの方に、その喜びを知っていただきたいのです。
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by sayama_church | 2006-09-29 14:58 | 牧師の窓 | Comments(1)

日本のために祈ろう


 何となく、世の中が右傾化に向かっているように感じます。そして、日本はこれからどのようになるのだろうかと案じることがあります。皆さんはいかがですか。
 今日の社会状況は、目を覆いたくなるような惨状です。先日も同級生を殺害し、自分も自殺するという痛ましい事件がありました。悲しいことですが、こうした出来事が起きても、最近では驚きというより、「またか」という印象の方が強くなりました。恐らく、社会のどの分野の人でも、心ある人は、危機感を感じていることでしょう。そして何とかしなければならないと思っていることでしょう。
 けれども、こうした世の乱れが、戦後の個の尊重、自由、平等といった理念に原因があるとする論調には、いささかの危惧を感じます。教育基本法、憲法の改正は、少し前までは、タブー視されていましたが、今は世論も政治家も改正の方向を向いています。
 私が理解するところでは、自由や個の尊重は、絶対者なる神を恐れるという聖書的な心が前提にあることであり、この根となる部分を切り捨てて、単に表層の自由や個の尊重だけを日本の社会に植えたので、歪んだ結果になったのだと思います。
 再び、全体主義的な社会が来ないでしょうか。個人の内心の自由も制約される時代にならないでしょか。キリスト者は、世の流れに疎くあってよいというわけではありません。日本と日本人を深く愛すべきです。そして、この国が間違った方向に行かないように、為政者のためにも真剣に祈るべきです。
 「すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。」Ⅰテモテ2:1                  
                                           (2006.9.10)
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by sayama_church | 2006-09-16 14:27 | 牧師の窓 | Comments(1)

青年を思う


 先週の水、木と、日本宣教会のユースキャンプに参加してきました。私たちの教会からのユースの参加はなく、とても残念に思いましたが、心燃やされ帰ってきました。やはり、キャンプは「いいな!」と思います。若者と一緒にいることは楽しいです。
 今回の講師は、西村希望先生でした。彼は、私と神学校の同窓で、ちょうど私の卒業と入れ違いに入学してきました。牧師家庭に育ちましたが、青年時代には親からも教会からもキリストからも離れてしまい、居酒屋で働き、居酒屋を起こすことを夢見るような男でした。そこから、キリストに救い出され、献身に導かれ、現在は、お友だち(彼は子どものことをそのように呼んでいます。)や青年のために精力的に伝道しています。教会では、20人ほどの青年と寝起きをともにしているそうです。みどりの家といいます。(因みに教会はみどりの教会です。)そこには、教会のスタッフ、家から通えないチャーチスクールの生徒、そして不登校や家庭が崩壊して行き場を失った青年もいます。彼は、生活を共にしながら、彼らを訓練しているそうです。
 今回、青年と共に過ごしながら感じました。第一に彼らは悩んでいます。人生の模範を求め、どうしたら良いか道を探しています。第二に、青年にはエネルギーがあります。そのエネルギーを正しく注ぎだす場所や対象を必要としています。そして、青年には青年なりの楽しみと文化があります。それを尊重してあげなければなりません。
 あたりを見回すと、多くの青年がこの世の悪と罪に捉えられているのを見ます。教会は、彼らを神の下に連れ戻さなければなれません。そんな教会になりましょう。

 「青年は幻を見、老人は夢を見る。」 使徒2:17

                                (2006.9.3)
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by sayama_church | 2006-09-04 07:54 | 牧師の窓 | Comments(2)

韓国教会を訪ねて ③


 今週も引き続いて、韓国教会を訪問してのエピソードを紹介したいと思います。
 インチョン空港に着いた私たちを迎えて下さったのは、最初の訪問教会の安山東山教会の方々でした。来日中に何度もお会いして、すっかり顔なじみになったペ牧師に案内されて、私たちは同教会のバスに乗り込みました。そこには、インドネシアへの短期宣教から帰ったばかりの青年達も乗っていました。
 彼らと私たち一行を乗せてバスは出発。運転手は、赤いポロシャツにサングラス、頭は少々薄くても粋な感じの壮年の方でした。彼は私たちのために、親切にも日本語の賛美テープや韓国ドラマを日本語に吹き替えたビデオを流してくれました。ところが私は、ドラマが流れたことに、少々不思議な思いを持ったことでした。
 しかし夕食会のときに、私の疑問は感動に変わりました。私の隣に座って下さったのは、あのバスを運転下さったアン兄でした。彼は目の美しい、本当に救われていることが一目で分かるような人でした。彼は、こんなことを話してくれました。
 「私は、海外宣教に関心がありましたが、年をとっているので適いませんでした。けれども息子がキルギスへの宣教師になってくれ、感謝しています。私は、ここ数年、特に日本に対する重荷が大きくなり、日本のために祈っています。そして少しでも日本語を学ぶために日本語のテープやビデオをバスに持ち込んで、聞いたり、見たりしています。私は、小泉首相のためにも祈っています。」
彼の目は輝いていました。韓国の教会に行って感じたことは、海外宣教への心が満ちていることでした。それは主のお心でもあるのではないでしょうか。

  「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」
                                        マルコ16:15


                            (2006.8.27)
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by sayama_church | 2006-09-02 13:30 | 牧師の窓 | Comments(1)