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苦難の日に

 先日、ある方から痛烈なる批判のお手紙をいただきました。面識のある人ではなかったのですが、お電話があり、クリスチャンではあるが今はどこの教会にも属していないので、関わりをもってほしいということで、請われるままに週報をお送りしました。間もなく返信があり、「牧師の窓を読んだが、理想ばかり並べてあり何の助けにもならない・・・・・。」と、厳しい感想が寄せられました。一読して私の気持ちは深く沈んでしまいました。が、何度か読み返すうちに、言葉の背後にある、その人が抱えている現実の苦しさ、厳しさが見えてくるような気がして、その方のために祈らされたことでした。今も祈っています。
 ところで、聖書には「苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう。」(詩篇50:15)とあります。この御言葉は、私の祖母がしばしば口にしたもので、主が祈りに答えてどれだけ現実の助けを与えて下さったかを、話して聞かせてくれたものでした。
 私たちは、人に語ることのできないような悩みの中を通ることがありましょう。今、そうした中に置かれている方もいらっしゃるかもしれません。けれども、神は真実な方ですから、私たちが耐えることのできないような試練にはあわせなさいません。必ず、試練とともに脱出の道も備えておられます(Ⅰコリント10:13)。そして「わたしを呼び求めよ。」と招いて下さっています。試みにある方がいらっしゃるならば、主を呼び求めて下さい。主は助けて下さいます。私たちの主は、多くの苦しみを通られて、私たちの弱さに同情できるお方なのですから。
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by sayama_church | 2007-02-25 22:16 | 牧師の窓 | Comments(1)

アメイジング・グレイス

 ここ数年、アメイジング・グレイスを教会の外でもよく耳にします。人の心に触れる何かがあるのでしょう。
 作詞者は、ジョン・ニュートンです。彼は、18世紀のイギリス人で、奴隷商人をしていた男でした。22歳のときに、アフリカからイギリスに帰るときです。船は大嵐に遭遇し、彼は生まれて初めて「神様、助けてください。」と心からお祈りしました。船は奇跡的に助かり、その経験が元になって、彼は聖書を読み始め、ついに回心し、キリスト者になったのです。そして、彼は牧師になりました。
 原詩では7節までありますが、最初の節は次のようなものです。
Amazing grace! How sweet the sound  驚くばかりの恵み、何と芳しい響きか
That saved a wretch I like me  私のようなどうしようのない者が救われた
I once was lost, but now am found  かつては迷い出ていたが、今は見出され
Was blind, but now I see  以前は盲目であったが、今は見える。
 言うまでもないことですが、この歌はジョン・ニュートンの証しそのものです。罪の闇の中から救われた喜びが文字となっています。しかし、同時に多くのキリスト者にとりましても、この賛美は自分自身の証しのように感じられるのではないでしょうか。今、なぜ一般でもこの歌が歌われるのか分かりません。それだけ人々の心が疲れているのでしょう。願わくは、この歌を歌い、聞く人々がニュートンと同じ魂の生まれ変わりを経験されることを祈るものです。
 「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られたものです。」 
                                       Ⅱコリント5:17

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by sayama_church | 2007-02-18 14:58 | 牧師の窓 | Comments(0)

もっとゆっくりと

 私は、月に一度ですが、老人ホームをお訪ねします。ケアハウス、特別養護老人ホーム、グループホームと回ります。どれもキリスト教主義に立って運営された、とても地域に評判の良い施設です。ケアハウスと特別養護老人ホームでは、チャペルで聖書のお話をさせていただき、グループホームでは、入所されている教会員の方と、しばしの間お祈りと語らいの「とき」を持っています。
 実は、この「とき」は、ある意味では、私にとりましては恵みの「とき」です。なぜかと言いますと、そこには他とは違ってゆっくりと時間が流れている、別の世界があるように思えるからです。ハーバード大学神学部の教授という立場から、知的障害者施設の司祭となられたヘンリ・ナーウェンの気持ちも、こうしたところにあったのかなと想像してしまいました。
 私たちは、本当に目まぐるしい世界に生きています。そこでは、スピードと効率ばかりが求められています。忙しく、慌しい毎日です。私たちは、目の前の問題・課題を処理し、乗り越えるのに夢中です。でも、もっとゆっくりと物事を考える余裕も必要ではないでしょうか。もっと心の視点を広く、大きく、遠くに持ち、人生の目的・意義について、本当に価値のある生き方について考えることは、大切なのではないでしょうか。
 神の前に静まりましょう。そうすると、私たちは自分が選び取るべき道が見えてきます。
 「すべての肉なる物よ。主の前で静まれ。」 ゼカリヤ2:13
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by sayama_church | 2007-02-12 11:55 | 牧師の窓 | Comments(2)

私たちの望み

 教会でご一緒に取り組んでいる聖書の通読箇所が、昨日はヘブル12章でした。私の心は、22節の言葉に深く留まりました。
 「しかし、あなたがたはシオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の御使いたちの大祝会に近づいているのです。」 ヘブル12:22
 私は、ここ最近はどういうわけか、キリスト者がやがての日に受け継ぐ栄光のすばらしさを考えています。テレビをひねり、新聞に目を通して、あたりを見渡すとき、暗黒が深まりサタンが闊歩しているように感じることがしばしばあります。しかし、その闇を貫いて差し込んでくる一条の光、望みを認めて、心が震えます。それは、やがての日にあらわれる神の栄光、神の御国です。
 初代の教会は、明らかにキリストがもう一度おいでになることを確信し、キリストの再臨を待ち望んでいました。彼らは、自分たちが終わりの時代にあることを意識して、ある種の緊張感を持って生きていました。そして、やがて受け継ぐべき神の国に、しっかりと目を留めていました。そこに望みを置いていました。ところで、今日のキリスト者はどうなのでしょうか。
 私たちは、あまりにも地上のことで頭が一杯なのではないでしょうか。自分が認められたとか認められないとかというような些細なことで、喜んだり悲しんだりしてはいないでしょうか。私たちは神の国に向かって歩んでいるのです。やがて受け継ぐべきものは、どんなに栄光に富んだものでしょうか。
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by sayama_church | 2007-02-04 17:11 | 牧師の窓 | Comments(0)