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率直にキリストを伝えよう!

 先日、M姉のご尽力により、ゴスペル・シンガーのベドウ・マークさん路得子さんご夫婦が、所沢市の市民講座の一つの元気大学でご奉仕なさいました。私もベドウさんご夫婦を紹介させていただいた関係で、元気大学のメンバーではありませんが、参加させていただきました。ベドウさんご夫婦は、教会でのご奉仕と同じように、福音をそのままお語りになられ、参加者はとても感銘を受けたご様子でした。ハレルヤ!
 さて、今、多くの人たちの心の奥底は渇いている、悩んでいる、そんな気がしてなりません。人々は自我を追及し、幸福を求めながらも、心は虚しく、疲れ果てているように見えます。私たちは何をなすべきでしょうか。いつでも、どこでも福音を、救い主イエス・キリストを率直に語り続けるべきではないでしょうか。
 聖書はこのように語っています。「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしはあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから。」 使途18:9,10
 この御言葉は私が開拓伝道に導かれたとき、またその後にしばしば与えられたものです。そして、狭山キリスト教会のお一人お一人に、またすべてのキリスト者に与えられている御言葉だと信じます。あるクリスチャンは、人を教会にお誘いして、牧師に導いていただこうと考えています。それもすばらしいことでしょう。しかし、それ以上に大切なことがあります。それは、クリスチャンが率直にキリストをお伝えすることです。そして聖霊の助けによって救いにお導きするのです。それはもっと大切なことです。主はそれを望んでおられます。
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by sayama_church | 2007-04-29 23:00 | 牧師の窓 | Comments(0)

子犬が来て

 我が家に待望の男の赤ちゃんが加わりました。といいましても、ミニチュア・ダックスフンド、子犬です。名前はジョイ。今やりっぱな家族の一員です。
 もともと私は、それほど動物は好きではなく、犬を飼うことには反対していました。しかし、子どもたちが「犬がほしい。」の大合唱。本を買ってきては犬の研究をしていました。それを横目で見ながらも、私には飼う気などさらさらありませんでした。
 ところが・・・です。我が家の真向かいの家に子犬がやってきたのです。子どもたちは、大喜び。次女は、その子犬に会うために、毎日垣根越しにその家の庭を覗いていました。ちょっとの時間ではなく、ずーっと。次女は?と捜すと、その家の庭先に立っています。これには、親としてまいりました。いじらしくなってしまいました。そして、不覚にも、つい「犬を飼おうか。」と口をすべらせてしまったのです。
 さて、ジョイが来て考えさせられました。「私は、犬を飼う気持ちは、全くなかったのに、ここにいる。なぜだろう。子どもたちの熱意に、次女の必死な願いに負けてしまったのである。」
 もしかしたら天の父なる神様にも、同じことがあてはまるのではないでしょうか。主イエスさまは、このように教えてくださいました。「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。・・・あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと」 ルカ11:9,13
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by sayama_church | 2007-04-22 22:57 | 牧師の窓 | Comments(2)

この時代に

 先日、書店に足を運び、何気なく手にした本をぱらぱらと拾い読みして、驚愕しました。「たましい」とか「永遠のいのち」とか聖書に出てくる用語がちりばめられているのですが、意味している内容は、聖書とは全く異なり、アニミズムであり、輪廻思想でした。
 こうした本が、一般の書店で売られているというのは、多くの人に受け入れられていて、少なからずの影響を与えているのでしょう。ある方が、モダン(現代)は、物質主義の時代だったが、今日のポスト・モダン(現代後の時代)は、スピリチュアルな時代であると言っていましたが、そうだなと頷かされました。そういえば、巷で占いもよく目にします。
 高度成長期の物質主義、合理主義、世俗主義の時代に、私たちの先輩のキリスト者は、「人間は死んだらおしまいだ。虚無である。だからせいぜい生きている間、飲んで騒いで、楽しく過ごそう。」という人々に対して、その空しさを語り、聖書の真理を伝えました。しかし、今日のアニミズムに回帰していく傾向にあるポスト・モダンの時代に私たちはどのように宣教していくべきでしょうか。
 実は、初代教会が宣教した時代は、アニミズム時代でした。迷信、占い、魔術に捕らわれ、恐れ、不安、暗黒の中にいた人々に、聖書の力によって神の愛と主イエスによる救いの道を伝えました。そして、人々を暗黒から光の世界へと導きました。今日、私たちは初代教会に帰るべきではないでしょうか。人間の知恵ではなく生きて働かれる主イエスの臨在と聖霊の力に徹底してより頼むべきではないでしょうか。
 「聖霊を受けなさい。」 ヨハネ20:21
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by sayama_church | 2007-04-15 23:20 | 牧師の窓 | Comments(0)

天国の希望

 死別は、本当に悲しく辛いものだと思います。殊に、それが身近な愛する人の場合は特にそうです。
 宗教改革者マルティン・ルターにはレナという娘がいました。彼には沢山の子どもがいましたが、女の子は彼女だけでした。彼はレナを深く愛していました。レナは、病のために14歳で地上の生涯を終えて、天に召されました。彼女は、最後のときにも少しも取り乱すことなく、神の平安に覆われていましたが、ルターの心は、それに反して悲しみで張り裂けるほどでした。いよいよ臨終が近づくと、彼は耐え切れずに、ひざまずいて激しく泣きました。しかし、彼はやがてレナのために祈り始め、心の平安を取り戻しました。そして、傍らで泣き悲しんでいる妻に語り掛けました。「レナは、どこに行ったかを考えなさい。私たちは最も確かな永遠の生命を与えられているのだ。神様がキリストにあってそれを約束されているのだから。」
 そうです。私たちはイエス・キリストの十字架の死と復活によって罪の全き赦しと天国の希望を持っています。それが、私たちの確信です。キリストは死を打ち破られました。そしてキリストによって永遠の生命が与えられているのです。
 「もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。」 Ⅰコリント15:19・20
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by sayama_church | 2007-04-09 20:08 | 牧師の窓 | Comments(0)

本当の献身

 何気なく開いた本に、こんなことが記してありました。ある方が、主イエス・キリストを救い主と信じ、受け入れました。やがて、神様は彼に、こう語られました。「わたしは、あなたの人生に計画をもっている。あなたは、もう少し学んでほしい。」そこで、彼は大学に進学しました。さらに、彼は自分自身を全く神に捧げて生きることを決心して、卒業後には神学校に進みました。キリスト教教育の分野で主に仕えようと準備していたとき、主は彼に語られました。「わたしは、あなたにビジネスの分野で働いてほしいのだが・・・・・。」そこで、彼は保険会社を起こし、妻とともに骨身を惜しまずに働きました。その結果、彼のビジネスを通して多くの人々が恩恵を受けました。
 主は、私たちの人生に対しても計画を持っておられます。そしてそのことを成し遂げるために必要な賜物を備えておられます。ある方は家庭の主婦として、ある方は教師として、ある方は職人として、主は召されます。職業だけではありません。教会の中の働きにおいてもそうです。だれもが人前で上手に話すことはできないでしょうし、だれもが心地よく人をもてなすことはできないでしょう。整理整頓や事務仕事が得意な人もいれば、気軽に訪問してお話できる人もいます。神様は、私たちにこれをしてほしいと望まれることがあるのです。それを忠実に行うことこそが本当の献身です。自分に対する主の御心は何かと問いかけてみませんか。 「みなが使徒でしょうか。みなが預言者でしょうか。みなが教師でしょうか。みなが奇跡を行う者でしょうか。」 Ⅰコリント12:29
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by sayama_church | 2007-04-02 20:57 | 牧師の窓 | Comments(0)