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信徒による伝道

 昨日の土曜日から青森県の三沢に来て、ご奉仕させていただいています。三沢での働きは、代田教会で信仰をもって帰郷されたある方が、幾許の年を経て家庭集会を始められるようになり、やがてそこから救われる方々が起こったのが始まりのようです。現在は、その集会を通して救われた一人のご婦人が、自分の経営する工務店の敷地内の作業所の2階にチャペルを建設してくださり、そこで毎週礼拝と祈祷会を守っています。普段はテープを用いたりしながら自分たちだけで行い、月に一度だけ牧師が巡回します。
 三沢集会は、解決されなければならない課題や問題点が多々ありますが、今後の宣教を考えるとき大きなチャレンジと示唆を与えていると思います。一つは、人に福音を伝え救いに導くことを、信徒一人一人が行うことができるというチャレンジです。三沢において最初に信仰を持ち救われた方々は、牧師から導かれのではなく家庭集会を開いた信徒の方から導かれました。昔、初代教会で活躍し聖書にその働きが記されているステパノやピリポも信徒でした。福音は、それを伝えるように、全ての救われたキリスト者にゆだねられています。もう一つは、常駐する牧師がいなくても教会を形成することが可能であるというチャレンジです。信徒だけが自分勝手に行うと、わき道にそれたり、挫折して途中で働きが中断したり、異端化する心配があります。信頼できる牧師の監督の下に信徒リーダーが立てられ、皆がへりくだって聖書に聞き、主を愛し、主に仕えていこうとするならば、教会は建っていくのではないでしょか。今後あらゆる方法で主の働きが拡大しますように祈りつつ。
 「他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。」 使途8:4
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by sayama_church | 2007-06-24 23:03 | 牧師の窓 | Comments(0)

父の日に

 今日は、父の日です。最近はどちらかというと父親の存在が、かすみがちのように思えますが、気のせいでしょうか。
 先日、ある会合に参加したときに、「父の学校」という働きを紹介されました。これは、家庭の多くの問題は父の問題に起因しているのではないかと考え、「父が生きると家庭が生きる。」「父親が変われば、家庭が変わる、社会が変わる。」を合言葉にして、聖書的な家庭を建てることを励ましている運動です。いずれの日に、私たちの教会でも考えてみたい働きです。
 さて、こんなお証しがあります。大阪で小さな会社を経営していた男性がいました。しかし、バブルの崩壊で会社は倒産、家庭生活もうまくいかなくなり、離婚してしまいました。幸いなことに、彼は知人の誘いで教会に通うようになり、すがるような思いで信仰を持ち、受洗しました。ある日、彼は、自分のこれまでの人生と価値観が、お金、地位、名誉であって神様中心でなかったことを深く示されました。それまでは環境、人間関係、仕事や住む場所を変えれば、すべてが変わると考えていたのですが、最大の問題は自分であることが分かったのです。そこで彼は、神様の前に今までやってきた過ちをすべて告白し、「赦してください!」と心の底から祈りました。さらに別れた家族にも「ごめんなさい!赦してください!」と素直に謝ったのです。言うまでもなく家庭は回復しました。
 確かに、父親が変われば家庭は変わるのではないでしょうか。
「父たちよ。・・・子どもを・・・主の教育と訓戒によって育てなさい。」 エペソ6:4
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by sayama_church | 2007-06-17 23:01 | 牧師の窓 | Comments(0)

福音を伝えよ!

 こんな海外宣教レポートを読みました。「『いま息をすることができ、命が保たれ、こうして A さんに手紙を書くことができることを主に感謝します。2006年末、私は多くの教会から呼ばれ、クリスマスのご用に走り回りました。最後に一つの教会から説教依頼の手紙を受け取り夫婦で出かけました。奉仕を終えた翌朝、オートバイで帰る途中、大型トラックに側面から衝突され、私の足は膝の下からもぎ取られ、家内はトラックの下に巻き込まれ腰を強打しました。でも神様に感謝します。このような試練でしたが、二人ともまだ命があるのです。今では、家内も仕事をすることができず、私も教会の働きも、畑仕事に戻ることもできません。小さな二人の息子の世話をするのもままならず、親自身が他人に食事のお世話をしてもらう身になりました。教会のことが心配で心が痛みます。・・・』これは、ある国から A 宣教師宛に来た手紙です。・・・彼の心の痛みは単に足を失ったことから来るのではありません。教会が増え続けるのに、それに追いつき、聖書のことばで養うために出かけていくことができないということが苦しみなのです。翻って、五体満足で教育があってもキリストに身を捧げない人が多い国はどうしたらよいでしょう。・・・」
 これをお読みになって皆さんはどのように感じられますか。私は 心が疼きました。私たちは果たしてどれだけキリストに身を捧げているのでしょうか。どれだけ魂を愛し、人々の救いのために心を砕いているのでしょうか。どれだけ救霊の情熱を持っているのでしょうか。すべてのキリスト者にこう命じられているのです。
「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音をのべつたえなさい。」 
                                    マルコ16:15

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by sayama_church | 2007-06-10 23:45 | 牧師の窓 | Comments(0)

ひとりも滅びることなく

 つい先日、十数年前に卒業した神学校の機関紙が送られてきましたので、目を通していたところ、現院長の一文に目がとまりました。
「生かすためにこそ神は万物をお造りになった。」
この言葉は、彼が学生と横浜の外人墓地を訪れたときに、墓石に刻まれているのを目にして、大変感銘を受けた言葉だそうです。彼はこのように記しています。
「神様は私たちを生かすためにこそお造りになりました。心に力強く迫る神様の愛を感じます。私たちを生かすために、主イエスさまは十字架にかかり、聖霊は私たちを探してその贖いを届けてくださいました。神様にとって滅んで当然とか、滅んで良いとか思える人は一人もいません。」
本当にそうだと頷かされます。神様は、私たちを罪に定めようとしているのではなく、救おうとされています。私たちを滅ぼそうとしているのではなく、生かそうとされています。これこそが旧約・新約聖書の全巻を貫いて示されている神様のお心です。
 先々週、 I 兄が主イエス様を信じて救われました。そして先週バプテスマを受けられました。それは大きな喜びでした。教会にお出でになられたことはありません。また来ることもできません。お年を重ね、病院で寝たきりの生活です。受け答えもはっきりできなくなってきました。それでも「主イエス様を信じますか?」との問いかけに、「はい」と答えて下さったのです。
 主は、「ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」 Ⅱペテロ3:9
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by sayama_church | 2007-06-03 15:32 | 牧師の窓 | Comments(0)