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教会の交わり

 先週の日曜日の礼拝後に初めての試みとして、《分級》を持ちました。参加された方は、いかがでしたでしょうか。《分級》というネーミングは、もしかしたら適当ではなかったかもしれません。その目的は、礼拝を通していただいた恵みを互いに分かち合い、共に祈り合うことだからです。
 聖書の中に、このような御言葉があります。「キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。」(コロサイ3:16)ここに「互いに」という言葉が2度繰り返されています。聖書には、「互いに」という言葉が多く見られます。成熟した教会の交わりは、互いに主から受けた恵みを分かち合うことを通して、互いに教えられ、戒められ、慰めと励ましを受け、その結果、主に向かっての感謝と賛美が心からあふれてくるようなものだからです。これこそが、教会の本当の交わりです。
 これからも、こうした小グループでの恵みの分かち合いが持てたら感謝ではないでしょうか。そのとき、次のようなことを心がけていたいものです。
①.決して裁きあわない。批判めいたことを口にしない。それは御霊が与える交わりを損なってしまうからです。
②.司会者は、ひとりひとりが、口を開けるように、心を砕く。決して一人の人がしゃべりすぎたり、他を教えたりするようにはならないようにする。司会者自身もしゃべり過ぎない。
③.グループの人数は、あまり多くならないようにする。6人以上は、2グループに分かれる。限られた時間で、皆が口を開き祈りあうのには、限りがあるから。
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by sayama_church | 2007-08-26 22:01 | 牧師の窓 | Comments(1)

夏に思い出すこと

 記録的な猛暑が続いていましたが、昨日から曇り空でかなり涼しくなり、ホッとしている方が多いのではないでしょうか。
 ところで、夏というと何を連想するでしょうか。色々なものが思い浮かぶと思いますが、どういう訳か私は、一つに聖会があります。小さいときから夏と新年は、必ず聖会に出席してきたからだと思います。殊に、10代から20代にかけては、教会の兄姉たちと寝泊りして、御言葉に聞入ったものでした。
 青年だった私に強烈な印象を与え、今でも忘れることのできない聖会がいくつかあります。本郷善次郎先生、ゴズデン先生、本田弘慈先生・・・。こうした方々が講師に立たれました。聖霊の臨在をひしひしと感じ、あまりにも深い霊的な恵みのゆえに、天にまで引き上げられるかのような思いがしました。ちょうど使徒パウロが「私はこの人が、― それが肉体のままであったか、肉体を離れてであったかは知りません。神はご存じです。― パラダイスに引き上げられて、」(Ⅱコリント12:3,4)という表現がピッタリのような集会でした。今や、こうした先生方は、皆天に召されました。
 年を重ねてきたのでしょうか。最近、私は、自分が多感な少年、青年時代に垣間見たあの恵みの世界、聖書が伝える信仰の本髄、主イエス・キリストにあって生きる人生、否キリストをすべてとする人生のすばらしさ、やがて受け継ぐべき神の国の栄光・・・を、あのときの自分のように若い人たちに感じてもらえたらどんなに良いだろうかと思うようになってきました。感謝なことに、今年の夏期聖会にも多くの若者が集っていました。
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by sayama_church | 2007-08-19 08:19 | 牧師の窓 | Comments(0)

サマーキャンプに参加して

 先週の水、木と高尾の「わくわくヴィレッジ」に教会学校のサマーキャンプで行ってきました。東京にもこんな豊かな自然があったのかと思うほど、近くには緑豊かな木々と清流があり、参加した子どもたちは本当に楽しそうでした。
 聖書には「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。」(伝道の書12:1)とあります。年を重ねてから神に出会うことも恵みですが、若い日に、ことに子どものときに救いを経験することは、素晴らしいことです。振り返ってみるとき、私も小学校4年生の頃だったと記憶していますが、サマーキャンプで「ラザロと金持ち」のお話を聞き、自分もいつ死んでもラザロのように天国に行ける人になりたいと思って、牧師先生と一緒にお祈りをしていただき、神様に罪をお詫びし、主イエス・キリストを救い主として心に迎え入れました。その時の心中の喜び、平安、安心は、今でも記憶に鮮やかです。
 今回のキャンプにおいては、私はその頃の自分を思い出しながら、「ラザロと金持ち」のお話をいたしました。天国と地獄のお話なんかまともに聞いてもらえるだろうかとのいささかの危惧はありましたが、小さなお友達も真剣に聞いてくれました。子ども会だけに来ていて、まだ聖書の知識の浅いお友達も、顔を上げて私の顔を見つめていたのには驚きました。
 子どもたちも自分の罪がわかります。そして、罪が赦されて、心に安心、平安をもちたいと願っています。否、子どもだからこそ、素直に応答してくれるのだと思います。
 児童伝道は、大切です。教会は、そのために熱心でなければなりません。
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by sayama_church | 2007-08-12 23:51 | 牧師の窓 | Comments(0)

道が閉ざされるとき

 先週、埼玉県庁学事課を訪ねました。宗教法人認証を受けるために、3ヶ月に1度ほど、足を運んでいます。これまで大変順調で、よい評価をいただいており、早ければ来年度平成20年度に正式な認証手続きに入れそうなところまできたのですが、今回思わない難題にぶち当たってしまいました。
 私たちの教会堂は、自分たちで建てたのではなく中古で購入したものです。別のキリスト教会が教会堂として使用していたものが売り出され、そのまま使えるということで購入しました。ところが、この建物は建築基準法上の用途を『住宅』として開発認可を受け、設計され建てられていたのです。今回、県庁の担当者からこの用途を『教会』に変更するように言われました。狭山市役所にこのことを問い合わせたところ、かなり事態が困難であることが分かりました。まず、『教会』として建設できるか、開発認可を受ける必要があること。次に建物を『教会』としての基準に合わせることでした。現状の階段の幅は住宅用となっていますので、かなりの改築の必要が予想されます。
 ところで、前日のデボーションでカウマン著「荒野の泉」を読んでいたときに、こんな言葉がありました。「しかし閉ざされた戸の先に、神が閉ざさずにおきたもうた一つの戸があることを信ずべきである。」そのときに、もしかしたら難しいことになるのではとの予感めいたものを感じていました。
 これから主がどのように道を開いてくださるかわかりません。専門家に相談しながら、市役所、県庁と折衝したいと思います。けれども、主が、私たちのために道を用意しておられることを信じたいと思います。
 「彼は、正しい心で彼らを牧し、英知の手で彼らを導いた。」 詩篇78:72
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by sayama_church | 2007-08-05 23:01 | 牧師の窓 | Comments(1)