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すべてが神による

 今週は感謝なことが沢山ありましたが、二つのことを紹介させて頂きます。
 一つは、早天祈祷会に見えておられる方のことです。教会では毎朝6:00から祈り会を持っていますが、一週間に一度ほとんど休まずに出席されている方がいます。彼は、数年前に信仰を持たれ、洗礼を受けられましたが、お仕事の関係で礼拝を守ることができません。それで、早天祈祷会に出席しているのです。先日集会後に、こんなことを言われました。「最近、毎日が感謝、感謝です。神様に守っていただかなければ毎日をやっていけません。そして神様に守られているのだと感じます。」
それを聞いて私は、本当に感謝しました。彼は礼拝をほとんど守っていないけれども、主は彼の信仰を育み、導いておられるのだと感じたからです。
 もうひとつは、ある方からの思いがけないメールです。もう十数年前、この教会の開拓が始まったころ、礼拝においでになっていた方からです。彼女は、当時既にクリスチャンでした。そして、しばしばお母様を連れて教会に来られました。その後ご結婚されて、引っ越されたのですが、そのお母さんが救われたとのご連絡をいただいたのです。このことのためにはクリスチャンの娘さんの愛の祈りと労苦があったことでしょう。しかし、同時に十数年という年月に思いました。主がなされたのだと。
 結局のところ、牧会、伝道は、主の働きではないでしょうか。私たちを通して主が働かれるのです。主体はあくまで主です。そんなことを二つの出来事から感じました。
 「というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン」 ローマ11:36
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by sayama_church | 2007-09-30 22:53 | 牧師の窓 | Comments(0)

出て行く

 明日は、いよいよチャリティ・バザーです。夏の疲れが出てくる時期、ご奉仕くださっている方々、本当に感謝申し上げます。
 今のところ地域からの反応はとても良く、10軒以上から多くのバザー用品を頂戴いたしました。教会関係者からのものと合わせると、品物は果たして狭い教会内にすべて陳列できるかと思うほどいっぱいになりました。感謝です。今回は、チャリティー先の国際飢餓対策機構の総主事がわざわざ当日おいで下さるので、収益金ではなく、売上金をそっくりそのままお捧げすることになりました。ぜひ、多くの方々に買い物に来ていただきたいものです。
 ところで、今回のバザーの準備を通して、とても感謝していることがあります。それは、教会が地域に出て行くことができたことです。地域にチラシを配って歩いたこと、電話があると品物を引き取りに出かけて行ったこと、そして地域の方々と顔を合わせ、会話ができたこと。それらはとても感謝なことでした。
 聖書は、主イエス様についてこのように伝えています。「イエスはガリラヤ全土を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。」 マタイ4:23
 ここに「イエスはガリラヤ全土を巡って」とあります。主イエスは、出て行って、巡り歩き続けたのです。
 イエスのからだなる教会もそうあるべきではないでしょうか。私たちの教会は、もっともっと具体的に地域に出て行きたいです。
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by sayama_church | 2007-09-24 23:34 | 牧師の窓 | Comments(2)

天国への道

 先日、家内に誘われて 「Life 天国で君に逢えたら」 と言う映画を見に行きました。2005年に癌でこの世を去ったプロウィンドサーファーの飯島夏樹さんの半生を描いた映画です。妻の寛子さんとの夫婦愛、子どもたちとの家族愛のシーンに、しばしば目頭が熱くなりました。
 飯島さんは同名の本を著しています。その本を読んだ家内の話によると、飯島さんご夫婦はクリスチャンです。癌の闘病を通して、教会に導かれ、主イエス様にお出会いなされたのではないでしょうか。
 実は、私は飯島さんご夫婦がどのようにして主イエス様と出会うのかと、そのようなシーンが出てくるのを楽しみにしていました。けれども、そうした場面は最後まで出てきませんでした。天国への希望は描かれていましたが、主イエス様との出会いは描かれたいませんでした。恐らく、監督にはそうしたことは関心がなかったのでしょう。しかし、その結果、天国が何となく感傷的で、曖昧なぼんやりとしたものになってしまったような気がします。
 飯島夏樹さんは、本当に天国の希望を持っていたのだと思います。だからこそ、力強く最後を過ごし、人々に感動を与えることができたのだと思います。それは主イエス様との出会いがあったからです。死に直面した人間が天国への確信を握ることができるのは、主イエス様による以外にはないからです。主イエス様は、こういわれました。 「私が道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」ヨハネ14:6
 主イエス様を通して、一人一人が天国への希望と確信をにぎられますように。
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by sayama_church | 2007-09-17 22:15 | 牧師の窓 | Comments(0)

奇跡の人

 クリスチャンは、ある意味で「奇跡の人」です。詩篇の記者もこのように言っています。「私は多くの人にとっては奇跡と思われました。あなたが、私の力強い避け所だからです。」詩篇71:7
 まず、クリスチャンになったこと自体が奇跡ではないでしょうか。自分の罪が分かり、主イエス・キリストを救い主として迎え入れたこと、自分を頼りにしてではなく、主に信頼しながら生活するものに変えられたこと、これらはそれまでの考え方、生き方、人生を考えてみると、奇跡です。まさに、今あるのは神の恵みによるという以外にありません。
 クリスチャン生活も奇跡です。ペテロのように海の波の上を歩いているようなものです。ときどき人生の荒波にもみくちゃにされそうになりますが、主を避け所とし、主によりすがる時、主の不思議な御手に支えられて、平安に、力強く、明るく、希望に満ちて、荒波の上を歩いていくのです。荒波はなくならないかもしれませんが、荒波を乗り越えていくことができるのです。
 しかし、驚くべきことに、ここにもっと積極的な意味において、奇跡の人となる約束があります。主イエス様はこう言われました。「まことにまことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしが行うわざを行い、またそれよりもさらに大きなわざを行います。」 ヨハネ14:12 聖霊は私たちをして主イエス様のわざを、否それよりも大きなわざをさせてくださるというのです。これは主のお約束です。ですから私たちは信じて、この地に神の国をもたらすために大胆になりましょう。
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by sayama_church | 2007-09-11 11:50 | 牧師の窓 | Comments(0)

失敗を通して

 先週は、月曜日から水曜日まで日本宣教会の教義委員会のために泊り込みの仕事をしていました。私たちが告白する信仰を明文化するためです。パソコンを持参するようにとのことでしたので、私も持って行きました。
 ところが、何と、私は、初日に、大変な失敗をしてしまいました。作業を終え、パソコンをバックにしまおうとしたときに、誤って床に落下させてしまったのです。その後、パソコンは使い物になりませんでした。今は、修理に出しています。データが無くならないように、安価で修理してもらえるようにと願うばかりです。ただ感謝だったことは(主の恵みだったと思うのですが)、最近、教会用に中古のパソコンを購入していたので、教会事務は滞りませんでした。
 恥ずかしいことですが、私はよく失敗をします。ものを破損するならまだしも、もっと心が重たくなるような過ちをすることもあります。また、自分ではどうすることもできない難題にぶちあたります。そんなとき、本当にへりくだらされます。自分の弱さを感じます。
 デニス・キンロー著「エマオの道で」の8月30日のところには、こんなことが書いてありました。「キリスト者とは、自分の力によってわざを行っていく人間ではなく、私たちの人生に働いておられる神を信じ受け入れ、私たちを通して働く神のみわざを表していく人間である。」
 何と慰めに満ちた言葉でしょうか。主はこんな私たちを通して働いて下さるのです。この恵みに生き続けたいものです。 「わたしたちを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」 ヨハネ15:5
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by sayama_church | 2007-09-02 22:58 | 牧師の窓 | Comments(0)