<   2008年 02月 ( 4 )   > この月の画像一覧

結婚式

 先週、M兄のご葬儀を教会でさせていただきました。すべてを終えて、ホッと椅子に腰を下ろしたとき、何ともいえない寂しさがジワッと心に広がってきました。
 一体、私は牧師になったから何人の人を天国に見送ったのだろうか。何人の人の死に立会い、何人の人の葬儀の司式をさせていただいたのだろうか。確かに天国に行ったと確信できても、やはり残された者は、寂しいものです。
 振り返りますと、私はこれまでに十数人の方々のご葬儀を執り行いました。しかし考えてみると、喜びの結婚式の司式をしたのは一回だけです。知り合いのクリスチャンの娘さんの結婚式で、しかも会場はホテルでした。
 葬儀の度にお世話になり、とても良くして下さる近所の花屋さんには、最近は「今度は結婚式でお世話になりたいですね。」と言うようにしています。今回入って下さった葬儀屋さんは、面白いことに結婚式の企画やアドバイザーもしているそうです。そこで尋ねてみました。「私たちの教会でも結婚式をあげられますか。」と。色々教えてくださり、答えは「大丈夫!」でした。
 感謝なことにだんだんと教会にみえる若い人が増えているように思います。次代を担う子ども達も大勢います。いかがでしょうか。「主よ。私たちの教会にも結婚式を挙げる喜びを下さい。」と祈ってみませんか。主イエス様が、最初の奇跡を行い、ご自分の栄光を表されたのは、カナの結婚式だったのですから。
 「あなたは私のために、嘆きを踊りに変えてくださいました。」 詩篇30:11
[PR]
by sayama_church | 2008-02-26 11:48 | 牧師の窓 | Comments(0)

Mさん

 昨日の土曜日の朝、Mさんがお亡くなりになられたとのご連絡をいただきました。先週、脳梗塞で倒れられたとお伺いし、良いときにお見舞いに伺おうと思っていたので、残念でなりません。89年のご生涯でした。
 Mさんは、ご近所のYさんというクリスチャンを通して信仰を求められ、近くの教会ということで私に紹介されました。以来、時々訪問させていただき、特別集会の折などには、教会に見えて下さいました。昨年の2月に米寿のお祝いに大阪から来てくれたご親戚の方々と礼拝にお出で下さったことが、懐かしく思い出されます。年齢的なことと、持病の腎臓病のことなどから、教会へはなかなか足を運ぶことができませんでした。
 Mさんは、主イエス様を個人的に救い主として受け入れられましたが、洗礼はお受けになっておられませんでした。しばらく前に、「洗礼をお受けになられませんか。」と尋ねたときに、「はい」とお答えになられたので、よき機会をと願ってはいました。クリスチャンのご親戚の方がお一人おられるのですが、その方のお話によると、「洗礼を受けようと思う。」と話されていたそうです。もう少し、積極的に、早く話を進めていれば良かったと少し悔やまれます。
 しかし、今回、キリスト教葬儀をご親族の方が希望され、しかも教会で行われることになったのは、私にとりましては大きな慰めです。
 「私が道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」 ヨハネ14:6
[PR]
by sayama_church | 2008-02-18 00:46 | 牧師の窓 | Comments(0)

ひとり子を与える愛

 先週の日曜日は大雪となりました。大雪と言っても雪国の人にしたら大したことではないでしょうが、私たちにとりましては、結構なものでした。
 久しぶりに積もった雪を見たせいか、あるいは雪による遭難事件のニュースを読んだせいか、雪景色を眺めながらフッと妙な光景が頭をよぎりました。3人の幼いわが子を連れて、吹雪の中を進んでいる自分です。歩めども歩めども、人家は見当たりません。子ども達は、「疲れた。」とぐずりだし、へたりこみます。どんなに叱咤しても、立ち上がりません。苛立ち。このままだと死ぬ?!絶望!ところが不思議なようにわが子に対する愛おしさが沸いてきて、不可能であることが分かりながらも、3人を抱えて、前に進もうとする自分がいました。
 我に返ったとき、自分はこんなにもわが子を愛していたのかと新鮮な驚きを感じました。単なる空想の出来事です。しかし、私の深いところには、わが子に対する愛おしさに溢れていました。いかなるものにも代えがたい存在。不思議な感情です。思わず「主よ、どうかこんな目に会わないように助けてください。」と祈りました。
 ところがそのとき、父なる神が私のような罪びとのために御子をお与え下さった事実の重さが、現実となってひしひしと心に迫ってきました。教理や教えではなく、血の通った事実として。あまりにも大きな痛みと犠牲。
 十字架は小さな出来事ではありません。私たちに対する神の愛が溢れているのです。「神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物として御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」 Ⅰヨハネ4:9
[PR]
by sayama_church | 2008-02-11 10:43 | 牧師の窓 | Comments(0)

私たちを囲まれる

 最近Ⅱ列王記6章を読んでとても心励まされました。教会カレンダーにその日読む聖書日課が載せてありますが、1日(金)に読んだ箇所です。(もし聖書日課をお読みでない方がおられたらぜひ始めて下さい。)
 預言者エリシャを襲うためにアラムの王は、馬と戦車の軍隊で町を包囲しました。エリシャに仕える若い者は、恐れをなして「ああ、ご主人さま。どうしたらよいのでしょう。」と言うのですが、エリシャは、「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから。」(Ⅱ列王6:16)と答え、祈ると、その若者の目が開かれ、「なんと、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていた。」(Ⅱ列王6:17)のでした。
 こうした光景は、聖書の他のところにも約束されています。詩篇34:7には「主の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助け出される。」とあり、同じ詩篇125:2には「山々がエルサレムを取り囲むように、主は御民を今よりとこしえまでも囲まれる。」とあります。
 残念ながら私たちの目は、エリシャに仕える若者と同じではないでしょうか。私たちを守るため、私たちを取り囲む主の使いを見ることができません。そのために困難や予期せぬことに出くわすときに、また誘惑に合うときに、恐れをなし、不安に襲われ、くじけそうになってしまうのです。
 しかし、エリシャの見た光景は、私たちの周りにも厳然と存在すると聖書は告げます。どんなにサタンの攻撃が激しくても、時には過去の罪の事実をもって脅かされることがあっても、主を仰ぐとき私たちは必ず守られのです。
[PR]
by sayama_church | 2008-02-04 22:33 | 牧師の窓 | Comments(0)