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異なる人を通して

 3月も終わり、4月に入ろうとしています。職場や学校に身を置いている人の中には、環境や人間関係が変化する方もいるでしょう。
 振り返ってみますと、私はこれまでの人生において、自分と物の考え方、感じ方の異なる人との出会いと関わりを通して、学び、豊かにされたことが多くあったように思います。もちろん、自分と感性が同じタイプの人を通しても、そうしたことがたくさんありましたが。
 一番最たるものは、家内との出会いと結婚です。家内と私は、様々な点で物事の見方、感じ方が異なります。しかし、家内のおかげで、私はこれまでどんなにか助けられ、豊かにされたか分かりません。子ども達も、家庭に私だけではなく、家内がいてくれることによって救われていると思います。
 神学校での出会いもそうでした。私はS神学校に入りました。しかし、本当は、別の神学校に魅力を感じていました。そちらの方が、なんとなく温かく、庶民的な感じがしたからです。S神学校のT院長とは、入学する数年前に、たまたまある聖会で隣り合わせになったことがありましたが、そのあまりの洗練された物腰と立ち振る舞いに、自分のような田舎者には合わないと感じていました。しかし、結果的にT院長に4年間大変お世話になり、ご指導いただき、自分に欠落している多くのことを教えられました。おまけに、卒業後も親しくお交わりをいただき、結婚式では説教までしていただきました。主は、案外、自分と異なる人を通して、私達を祝福されます。
「神がすべてのことを働かせて益としてくださる。」ローマ8:28
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by sayama_church | 2008-03-30 14:14 | 牧師の窓 | Comments(0)

全人的救い

 今日は、イースターです。イースターは、ある意味ではクリスマス以上に大切な日です。クリスマスには、人を救うために私たちのところにまで降りて下さった神の愛とへりくだりを感じますが、イースターには、人間の暗黒と絶望を打ち破る希望を感じます。
 人間にとって一番の暗黒と絶望は何でしょうか。死ではないでしょうか。聖書は、死は罪の結果であると言います。しかし、主イエスは十字架の死を通して私たちの罪の贖いを完璧に成し遂げられ、復活を通して神の御子であることを示されたのみならず、主イエスを信じるすべての人に死を打ち破る復活の命が与えられることを明らかにされました。
 聖書はこう言います。「しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。」(Ⅰコリント15:20) 初穂とあるのですから、キリストにある私たちも同じように復活するのです。それは、今の身体が息を吹き返すことではなく、キリストの復活体と同じ新しい栄光の身体が与えられることです。また、主イエスはこう言っています。「わたしを遣わした方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者が永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。」(ヨハネ6:39,40) 
 人間の根本的な問題は神から離れている罪にあります。キリストの救いは、魂と心ばかりか、身体にまでおよぶ全人的なものなのです。
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by sayama_church | 2008-03-24 00:04 | 牧師の窓 | Comments(0)

主がお入用なのです

 今日は、受難週に入る「棕櫚の主日」です。主イエスは十字架に架けられる週の初めの日曜日にエルサレムに入城しました。このとき、人々は棕櫚(しゅろ)の枝を取って出迎えたことからこのように呼ばれています。
 ところで、エルサレムに入られるとき、主イエスは凱旋の将軍のように馬にはまたがらないで、ロバの子に乗られたと聖書にあります。「主がお入用なのです。」(マルコ11:3)と言ってロバの子に乗られました。
 この箇所を読むと、私は何とも言えない感動を覚えます。立派な馬ではなく、見栄えのしないロバを、しかもロバの子を、主イエスは用いられたのです。自分と重なるような気がしてなりません。
 先日、キングスガーデンに礼拝のご奉仕に伺ったときに、一人のご婦人が大きな声でこう言われました。「牧師は、最高の教養を持ち、最低の給料でなければならないから大変ですね。」思わず、皆笑い出しました。私も笑いました。しかし、私は最高の教養を持っているわけではないことをよく承知しています。
 私には人に誇れるような学歴もありません。大学受験では次々に落ち、ようやく一つの大学に入れてもらいました。入社試験でも何社もはねられて、やっとある会社に入りました。入社後も希望をした部署に入れてもらえず、会社を辞める1年前にやっと希望をかなえてもらった次第です。どう良く考えても、恰好の良い馬ではなく、見栄えのしないロバの子です。しかし、こんな私にも主イエスは声を掛けて下さったのです。「主がお入用なのです。」と。感謝としか言いようがありません。
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by sayama_church | 2008-03-16 22:50 | 牧師の窓 | Comments(0)

祈る人に

 祈りがクリスチャン生活においても、教会の働きにおいても、どんなに大切であるかは、言うまでもないことでしょう。
 出エジプト記17章には、大変興味深い記事があります。ヨシュアに率いられたイスラエル人とアマレク人との戦いです。モーセは神の杖を持って丘の頂に立ち、手を上げて祈ります。その時のことを、聖書はこう言っています。
 「モーセが手を上げているときは、イスラエルか優勢になり、手を降ろしているときは、アマレクが優勢になった。」 出エジプト17:11
何とモーセが手を上げて祈っている間はイスラエルが勝ち、モーセが手が重くなり祈ることを止めてしまうと、アマレクが勝ち始めたのです。そのためアロンとフルは、石を取って、その上にモーセを座らせ、二人して両方からモーセの手を支えたと聖書にあります。
 このことは何を教えるのでしょうか。祈りは気休めではないことが分かります。祈りは力です。祈りによってサタンの働きは打ち砕かれ、祈りによって神の働きは前進するのです。
 私たちの教会では、今2008年度の奉仕アンケートをとっています。受付やCS、庶務などの実際の係り活動のご奉仕もとても大切ですが、同時にお祈りのご奉仕も極めて重要です。「私は何もできない。」とは言わないで、ぜひお祈りをして下さい。教会のお一人お一人が教会発行の《祈りのしおり》を用いて毎日とりなしのお祈りを捧げ、また祈祷会に出席してお祈りをして下さったら教会にとっては大きな力です。
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by sayama_church | 2008-03-09 22:18 | 牧師の窓 | Comments(0)

救いの喜び

 私たちの教会では月に2回、第一と第三の火曜日に「聖書を読む会」を開いています。今は、マルコの福音書を丁寧に読んでいます。
 2章には、大変興味深い記事があります。一人の中風の男が四人の友にかつがれて、主イエスの下に連れてこられます。ところが主イエスがおられた家は、戸口まで人が一杯で中に入れません。そこで彼らは屋上に上がり、屋根をはがし、床のまま中風の男を主イエスの前につり下ろしました。すると、主イエスは、彼らの信仰を見て、「子よ。あなたの罪は赦されました。」と言われたのです。
 ちょっと妙に思いませんか。病気を治してもらいに来た人に向かって、「あなたの罪が赦された。」と言われたのです。後で病気も癒されましたが、まず罪の問題を取り扱われたのです。主イエスは、この男が罪の赦しを心の奥底で切実に必要としていることを見抜いておられた、そうとしか考えられません。
 ところで、この中風の男こそ、私たち、否すべての人間の姿ではないでしょうか。罪の赦しをすべての人が魂の奥底で求めています。しかし、主イエスだけが、私たちの罪の赦しを宣言できるのです。十字架で流された血のゆえに。
 では、どのようにして私たちは罪の赦しを得ることができるのでしょうか。聖書はこう言っています。「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」 Ⅰヨハネ1:9
 一人のご婦人は、自分のこれまでの罪を具体的に主の前に告白して祈られました。すると彼女は、魂の奥底で罪の赦しを経験し、溢れるばかりの救いの喜びをいただいたのです。ハレルヤ!
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by sayama_church | 2008-03-03 00:36 | 牧師の窓 | Comments(0)